第6回
『新生地球再建』
所有なき世界


シリーズ第5回では地球の波動上昇は地球開闢から連綿と続いてきており、地球の波動上昇からあぶり出されるように具現化する業想念の崩壊が天譴となって現れるとした。

正に阿鼻叫喚の地獄絵巻が地上に展開されるが、これは飽くまでも「建設前の大破壊」である。

新生する地球に、営々と積み上げられた人類の悪想念の蓄積である業想念はあってはならない。

そしてその後に実行されるいわゆるアセンションは、天譴が「古い家屋の解体」だとすれば、新しい家屋の「基礎工事」である。

「家屋本体の建設」ではなく「基礎工事」である。

「家屋本体の建設」は飽くまで新生地球人類によるものだからである。

アセンション信仰者の中にはアセンションをもって万事佳(よ)しとする安易な考えがあるが、「他人の褌(ふんどし)で相撲を取って」はいけない。

片づかない机の上の物品を、乱暴に段ボール箱に放り込んで、実質は何も片づいていないのに、「ああ、すっきり!綺麗に片づいたわ!」と言っているようなものである。

押入を開けると「雪崩」が起きる部屋も同じである。

さて、実は一大天譴は地球の西暦では2000年か2001年に起こるはずであったが、このシリーズの「想念作用」の頁で述べたとおり、業想念の想念波動情報が変化したため時期がずれ込むことになったのである。

ここには神霊のお働きとその下働きをする一握りの人類の尽力もあり、延ばしに延ばされてきている。

本来なら業想念の崩壊は今この瞬間に起こっても不思議ではないのである。

しかし、2012年12月に訪れる所謂アセンションは惑星の運行によるものであるため、アセンション自体を先延ばしにする事はまかりならない。

つまり一大天譴は最大限引き延ばしても2012年12月までとなる。

そして、現状の業想念波動の状態では一大天譴とアセンションはほぼ同時というほど立て続けに起こると読まれている。

つまり2005年10月現在、後7年2ヶ月以内の大激動となる。

出来る限り「小出し」に天災地変が起こり、一大難を数小難へと分散させてゆかねばならないが、それは現存地球惑星人類の日々発する想念波動次第である。


後7年2ヶ月である。

この短時間にしなければならない己の否定的想念波動の浄化は山ほどあるはずである。

皮肉なことに悟りの度合いの高い人ほど己に厳しい故、「山ほど」が「海ほど」に思えて途方もない気持ちになるかもしれない。

反対に気づきの低い人ほど、自分はそこそこの者であると思ってしまうのでなかなか進歩していかない。

また、未だに唯物思想にしがみ付き、単なる肉の塊として生きる者にあっては論外である。

いずれにせよ、決して諦めてはいけないのである。

その諦念こそ悪想念の一つである。

変な悟りをして諦めることが悟りだと勘違いしてはならない。

一大天譴の様子は日月神示の随所に出てくるので、時間とお金の在る方は書籍を求められることをお勧めする。

日月神示は独特の表現方法で最初は違和感を感じるに違いないが、読み慣れると心地よく響くようになる。


例えば次のようである。

『神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、臣民愈々(いよいよ)苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ』


『天の異変気付けと申してあろが冬の次が春とは限らんと申してあろが、夏雪降ることもあるのざぞ。

神が降らすのでないぞ、人民降らすのざぞ』


『八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な想念や肉体では生きてはいかれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ』


『人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でものがれることはできんぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ』


『富士は何時(いつ)爆発するのざ、何処(どこ)へ逃げたら助かるのぞと云ふ心我れよしぞ。何処に居ても救う者は救ふと申してあろうが。悪き持つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ』


『浄化した高級霊ともなれば人民に判るような感応ほとんどないぞ。

霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。

はげしくなるぞ』
(現在すでにオカシナ霊能者がうようよ世間に現れてきた。要注意。)


『世界ゆすぶりて知らせねばならん様になるなれど、

少しでも弱くゆすりて済む様にしたいから、くどう気をつけているのざぞ、

ここまで世が迫りて来ているのぞ、早く気つかぬと気の毒出るぞ、

その時になりては間に合わんぞ』


《一大天譴の様子を示した箇所は五万とあるのでこれ以上は掲載しない。》


さて、シリーズ第6回『新生地球再建』と題して、その特徴の一つである所有のない世界観を述べてみたい。

一大天譴とアセンションを経験した地球惑星人類は、浄化された地球の建て直しに向けて立ち上がった。

一大天譴は凄まじい大破壊ではあったが、焦土と化した地上だというのに人々の心はなぜか喜びと強い意志と希望に溢れていた。

そこに悲壮感も喪失感もなかった。

崩壊という具現化により一掃された業想念の影響を受けなくなった彼らはその稟質から誠に高邁な波動を発し、高まった地球の波動と高次の神霊界の波動を受けて、至福の時代の開闢とその歓喜に打ち震えるのであった。

一なる創造主に対する絶対信頼とその分け御魂である同胞(はらから)との相互信頼に支えられる時、新生地球人類に開けない未来はない。

まず、荒野同然となった地表に旧惑星時代の各国家から同胞集い、優良惑星人の援助を受ける。

このとき彼らは、自分達が言語によらずコミュニケーションを図っていることに気が付いた。

嘗(かつ)てどこの国家に属していて、どんな言語を使用していても全く関係なく、いやそれよりも遥かに正確に意志の疎通ができることに彼ら自身が少し戸惑いを覚える程であった。

この変化はアセンション時に遺伝子レベルで身体も脳も変容をきたしていることがその肉体側の理由として挙げられる。

しかし、その本質は脳の器質的変容のみにあるのではなく、脳を道具として作用する精神そのものの変容にあるのだ。
(日月神示ではこれを「半霊半物質」の状態と表現している。
後に明らかにしていくが、ここでは新生地球は三次元に存在しないとだけ言っておく。

三次元には存在しないアセンション後の新生地球では半霊半物質の身体でなければ棲息出来ないのである。

では、三次元上の地球惑星の様相はどうか。

それは三次元における現火星の様相に酷似するのである。)

新生地球に半霊半物質の身体を持ったまま生かされることとなった新生地球人類は、嘗て不良惑星時代においても、いわゆる第六感的作用を実体験していた。

それは明確に意識できた者もあれば、おぼろげな不思議体験として経験した者まで、その表出する程度は様々であった。

それが一大天譴とアセンションを通過して、極当たり前の確固たる能力として開顕した理由は、旧地球惑星時代に、彼らは日々の気付きと学びと反省により心の調整を図り、精神感応力の素地が出来上がっていたが、業想念、旧人類の集合無意識の影響が余りにも多大で、それが感応を阻害していたためであった。

電波状況の悪い中、何らかの発信機、受信機での送受信を行なうようなものである。

また、この仕組みは不良惑星地球に重なる「悪想念の海」の中で、それらに直接曝されないようにするための神霊の庇護によるものでもあった。


不用意な精神感応により低次の波動を受ければ、肉体にも悪影響が及び、体の不調、病変を招くのである。

旧地球惑星時代に、低次元の意識体に憑依され、吐き気を催したり、悪寒がしたり、果ては肉体的病変を伴ったり、精神に異常を来たしたりしたのは、この不用意な精神感応によるものであった。

基本的には自らが低次元の波動を発していない限り、波長同調性の法則により、低次元の精神体を引き入れるようなことは起こらないが、新生地球に生かされることになるほどの、地球惑星人にしては高い魂は精神感応力が強いため、弾丸飛び交う戦場を裸で歩いているようなものなのでブロックが必要であったのである。シルバーバーチャル星人が旧地球惑星時代に、誰とでも交流するわけには行かなかったのは同じ理由であった。

精神の本質を蝕まれることはないが、肉体的には見た目にアレルギーのような反応がでたり、腫瘍が出来ることを避けるためであった。

この確固たる精神感応力により、旧地球惑星時代の生物学的頭脳の良し悪しは全く関係のない世界が展開される。

知識など瞬時のうちにやり取りができるため、旧地球惑星時代のように頭脳明晰を誇り、それで他を出し抜き、名誉、地位、金銭を獲得し奢ることは新生地球では起こり得ないのである。

この世界では魂、霊位、霊性の高さ、即ち愛念の強さのみが全ての根源であり、価値基準なのであり、生物学的頭脳の出来不出来は全く問題にならない。

(シリーズ第3回『想念作用(その2)』の記述のように、そもそも脳は再生・記録器であり、あらゆる記録は潜象界の魂レベルで為され、よって脳を失った死後も保持される。)

「あなたの知っていることは私も知っている。

私の知っていることはあなたも知っている。

吾等の知っていることは神霊も知っている。」

のである。

互いは一なる創造主の分け御魂であり分離不能という認識は勿論のこと(嘗ての不良惑星地球でも「スピリチュアルワンネス」というように表現されていた。)、知識の共有という末梢レベルにおいてすら、自他一体感は作用し実用されているのである。

従って、例えば一方である人を愛しているが、その一方で別のある人を憎んでいるという分裂もない。

また、この世界には「専門家」という者は存在しなくなっていく。

シルバーバーチャル星にも職業上の生涯これこれの専門家という者は誰一人として存在していない。頭脳の良し悪しを誇る者、反対に卑下する者もいない。

それで財を成す者もいない。

そもそも財の所有という概念が存在しないのである。

第一、自然のものを所有するとはどういうことか。

宇宙一切、一なる創造主より発した波動に支持され、即ち宇宙一切の潜象界も現象界の物質も霊質も、創造主の御経綸下にあり、誰それの所有とすること自体が不自然極まりないものである。

土地は地球惑星の一部であり、それを線引きして所有し、山々の木々も自然に帰属するものであるのにそれを切り出し値段をつけ、買い付け、家を建てて所有し、または庭木と称して値段をつけ、買い付け「私の庭木」として所有し、仲間である犬、猫に宿る生命をも愛玩動物という枠組みにはめ込み、これに値段をつけて売買して所有する。

それらの所有物に損害を与えた与えないで争いを起こし、損害賠償に備えて保険制度を作り「安全」「保障」さえも所有する。

自動車始め様々な機器など物理、化学反応などを応用して作り出し(その技術未熟故にそのままでは自然には帰らぬものまで作り出し)所有するも、そもそもは自然に既に存在する原料を加工したに過ぎず、元は大自然に帰属する要素である。

無からの創造ではなく、大自然に帰属するものに単なる造作を加えて所有する。

これら全て広大無辺なる大宇宙の一部を「私個人のもの」とすることが不自然であると何故気付かぬか。

この宇宙間の何ものも所有の対象とはならないにもかかわらず、貨幣経済という幻想のシステムが所有という概念に拍車を掛ける。

人間同士の間においてのみ、「お金」を支払うことで(たったそれだけのことで)、大宇宙の一部を「私のものである」と高らかに宣言するという幻想であると同時に驕り高ぶる姿である。


原料採掘から加工へ、加工から販売へ、販売から消費へと物が動き、反対の流れに「お金」が動く。

消費から販売へ、販売から加工へ、加工から原料採掘へ・・・では原料採掘からどこへお金が動くのか。

大自然へ、または大宇宙へお金を支払うとでもいうのか。

誰も何も払わないし、誰がそのようなクダラナイものを受け取るというのか。

原料採掘に際しても、その場所を所有する段階で支払が発生しているが、土地の所有者は歴史を遡れば一番最初はタダでその土地を大自然に線引きして「私のもの」と勝手に宣言して奪ってきたのである。

初発は原住民の縄張り争いに始まり、戦争のたびに地図が書き換えられてきた領土のように、国家間の線引き、所有もこれに同じである。

(周囲を見渡して見ると、人間がいかに精巧にモノを造作しようとも、人間が無から創造したモノなどこの大宇宙間には何一つない。

恐れ多くも一なる創造主の波動の具現化した物質を加工した単なる造作である。

それを所有する不自然さと慢心に何故気付かぬか。

宇宙一切、一なる創造主の律動である。

これを理念として既に身に付け、宇宙の秩序で生かし生かされる優良惑星人の世界にどうして不自然な貨幣システムが必要であろうか。

貨幣経済システムがいかなる優良惑星にも存在しない理由は、優良惑星人は現象界が相対界であり実在ではなく、一切が創造主の経綸下である現象界の事物を所有する不自然さを認識している事と、所有せずとも全ては既に充分に与えられているという絶対信頼と感謝にその原点があるからである。

また、惑星人同士がその愛念に基づき互譲と奉仕に生きる社会に、物や行為の価値を天秤に掛けて損得を勘定する必要はなく、従って、互いに必要な時に必要な物や行為を過不足なく援助し合う惑星社会に所有などという我欲と我れ善しのシステムが必要であるはずもない。

想像していただきたい。あなたは今夢を見ているとする。

その夢の中であなたは何でも無から創造できるとする。

そして夢の中には様々な住人がおり、それらが進化・向上するため、物質などのあらゆる実質的要素と完璧な法則までも創造した。

全てはあなたが作り出した世界である。

ふと見ると、あなたの世界の住人が「所有」という言葉を旗印に、騙し、奪い、争い、傷つけ合い、殺し合い、相互不信と孤独に戦々恐々として苦しみの幻想世界を勝手に作りだしている。

なにやら「わー、わー」と喧(かまびす)しく個人やグループや国家単位で、際限のない所有合戦を繰り広げている。

全てはあなたが創り出した世界なのに、下界では勝手に線引きや所有をして争いあい、苦しみに苦しみを上塗りして争い合う姿をあなたは見ている。

この感覚を以って、現実世界を具(つぶさ)に観察すると、貨幣経済のみならず所有という「地球の常識」がいかに奇妙なものであるかがひしひしと感じられる。

所有の幻想から覚醒することは優良惑星人類への第一歩であるといっても過言ではない。

何故ならこの所有欲を捨てる覚醒は、所有即ち奪って、失わぬよう握り締めるのではなく、与え合い、生かし合う愛の想念波動を発せられるか否かに懸かっているからである。

やはり
「まず想念波動ありき」
なのである。)

シルバーバーチャル星は優良惑星への転換が、地球のように激しく起こったわけではなく、極めて緩やかなものであったため、優良惑星に移行したばかりの古代シルバーバーチャル星では貨幣経済に似たシステムが極めて短期間だが存在したことがあった。

旧地球惑星で言う電子貨幣に似てはいるが、全く価値の異なるシステムが存在していた。

シルバーバーチャル星共通の「バーチュー」という単位の「徳」を計測するシステムであった。

単に発音が似ているだけだが、地球惑星の英語圏ではバーチューを
「Virtue」
とつづり、その意味は
「徳、美徳、徳行、善行」(研究社 新英和中辞典)で意味まで似通っているのが面白い。

正しくはシルバーバーチューと言ったらしいが、バーチューとはその行為をする者の「徳」、即ち人徳、霊位、霊性を計る単位で、
「愛念と奉仕の尺度」とほぼ同義である。

550バーチューとか1896バーチューなどと数える。

日本語なら550徳、1896徳とでもいえよう。

シルバーバーチャル星が貨幣システムのない本来の宇宙則に調和する社会を築くまでの短い間に存在したこのシステムは、言わば
「徳の高さが貨幣に代わるもの」として機能していたのである。

社会全体の価値が徳の高さを核に判断された。

徳の高い者が社会の指導層となっていくのも必然であった。高徳は即ち存在全てに対する愛と感謝の想念波動の高さをいうである。

指導層ほど人徳が高く、その姿勢は低く、不良惑星でよく見られる(露骨であれ、内心であれ)傲慢な姿勢の者は存在し得ないのである。

この指導層が決まり行く経緯は、我田引水の欲にまみれた大衆の利害得失で選出されたり、イメージ操作により造られた立候補者像に対し人気投票をするがごとき博打(ばくち)的無責任さによって選出されるものではなく、皆の精神感応とその者達の高徳により自ずとその役割が決まるのである。

指導層であるからといって不良惑星的概念の「エライ」人物という認識はない。
ただただ愛と感謝と奉仕の心で己の「役割」を全(まっと)うするその想いだけである。

右手と左手、足と頭、心臓と肺臓、爪と髪・・どれも大事な全体の構成要素であり、右手より左手がえらいとか、心臓より肺臓がエライとなどということはないのと同じである。
それぞれがそれぞれの全体における役割をよく得心し、その使命を全うすることに全力を傾け、相互信頼の元、各々の役割を果たす惑星人同士、深い感謝の念を交換するのである。
これ即ち交歓である。その原動力は、一なる創造主から一人一人に分かち与えられた大愛を実現するというその一念なのである。

従って、優良惑星における奉仕は、自己犠牲の上に成り立つものでなく、ましてや地球惑星人類の下心や打算や慢心のある歪んだ「奉仕営業」ではないことは言うまでもない。
(自己犠牲思念は自と他を分離するものである。ぐっと卑近な例に落として言えば、母が高熱に苦しむ子をみて「代わってやれるものなら代わってやりたい。」と思う気持ちは自己犠牲的思念である。

代わってはならないのである。

その者の苦しみはいかなる苦しみであれ、その者の学びの貴重な教材である。

また、子の高熱は夫婦仲の悪い波動の具現化であることに気付き、夫婦共々反省し、現実的に夫婦協力してその子の看病をすることで、その仲の修復をするのが親の学びとなるのである。

優良惑星には波動粗き、低き惑星人は存在しないため、悪波動よる病はない。
優良惑星人の人体に関する科学は地球惑星人のそれに比して雲泥の差という程高度なものである。
遺伝子と波動の相関も知り尽くしている。
しかし、地球惑星では多種多様に病名をつけた数え切れぬ程の症状があるが、これらに関しては優良惑星人は全く疎(うと)いのである。

病気になる原因は知っているが、そうならない想念を有しているため、地球惑星人が罹患するような個々の病気、症状には疎いのである。
したがって優良惑星には病院など治療を目的とする施設は一切ない。
地球惑星人始め、病苦はあって当たり前、長い人生病気にならないほうがおかしい、誰でも少しぐらいは病気するだろうとの観念を堅持した不良惑星人には想像だにできない世界である。
病院のみならず、地球にある職業、施設、システムなどと比べるとその種類も数も極端に少ないのが優良惑星である。
少ないほど自由なのである。
地球では法律、政治、各種システム(貨幣経済もその一つ)とそれに伴う施設、職業と不良惑星ならではの事象がひしめき合っているが、これらの制約、規制から解き放たれた自由は現存地球人類では実現不可能である。

解き放てば忽(たちま)ち戦争、強奪、殺人、弱者蹂躙などありとあらゆる悪行が罷(まか)り通り、巧妙な犯罪よりも寧ろ単純で暴力的な犯罪が激増するためである。

それほど優良惑星人類が有する想念波動とは程遠い惑星人が多く生息するのが地球惑星である。

しかし、いつまでも不良惑星のままではならない。地球の波動は刻々と上昇していく。

業想念崩壊をもって、既存社会システムと「変わりたくない惑星人」の淘汰をせざるを得ない一大事はもう目前である。)

さて、不良惑星においても家族内で自らの子供に何かを分け与える時、子供から「お金」を取り上げることは一般的にはなかろう。

我が子を愛し育む想念あるが故である。
吾が命に換えてもわが子を守る母性ほどの愛念を何故地球人類同士で分かち合えないのか。

シリーズ第3回
「相対界」の記述の中で、
「善悪を超越して正しく生きよ、悪想念を発してはならない」としたが、「相対的」悪を見て責め、咎める悪想念を発している限り、そこに許しも、赦しもない。

一方で人を愛し、他方で人を憎む。

大変難しいがこれを超越しない限り、万人に対する我が子に抱く程の惜しみない愛念の発動は程遠い。

惑星人類が挙(こぞ)って、失敗しながらも少しずつこれを出来るようにしていく過程で、自然に貨幣のない社会が実現され、優良惑星人としての自己確立を果たしていくであろう。だが、残された時間は僅少である。

これが出来なければ、地球波動の上昇に付いていけない蓄積された業想念は堪えきれずに崩壊し、激しい一大天譴により淘汰が始まってしまうのである。

一大天譴とその後のアセンションにより貨幣経済のないことをその特徴の一つとする優良惑星への荒療治的切り替えとするしかないのである。

(貨幣のない社会・・・来るべき新生地球惑星の姿がここにある。これらの書籍を強くお勧めする次第。)

本日これまで。


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