第15回 『神々の正体(その3)』


そこで大方の惑星人は医薬の力に頼ることとなる。それでうまく落命は回避しても慢性化したり、後遺症を残して一生不定愁訴に苦しんだり、治ったとは言えないものの症状が出ていない寛解期の中、再発に怯えて暮らすなど、これもまた中々気の毒な状態が継続する。が、現象界に命あっての改心である。本シリーズ第1回及び第2回の想念作用の項で既述したように、記憶という情報を記録・再生できる脳がある地上生存中に様々な地上体験を経て成長しなければならない。肉体を失って後の時間の経過がない四次元での改心は地上に在るときに比べて桁外れに遅々として進まない。医薬を奨励するつもりは毛頭ないが、急を要する場合、現象界の現実的対応をせねばならないのは言うまでもない。
肉体生命あっての改心の機会である。あらゆる方法を良く吟味して治療に努めねばならない。地上には地上の治療方法があるのである。治療というと大方の現代人は即座に近代西洋医学的それを想起するが、いずれの不良惑星においても、文明の末期に向かって必ず台頭する唯物思想を背景に幅を利かせた治療方法というだけで、地上に存在する一治療法でしかないことを忘れてはならない。現にその根本的理論において大きな誤謬を抱えた学門なのである。
動物実験を経て開発された医薬もやはり大愛に逆行するため根本の癒しや治療には繋がらない。薬物療法は対症療法であり、症状を消すことはあっても根治にはならない事は今ではもう一般に広く認知されている。代替療法として連綿と続いてきた治療法は主に自然治癒力を引き出して治病へと導くものであり、攻撃的かつ短絡的かつ近視眼的かつ局部的視野に立つ現代医学に比してより自然な方法であることが多い。病気や細胞のみを見ている近代西洋医学と人間そのものをみている代替医療の違いである。近代西洋医学は正に木を見て森を見ずである。だからといって、代替医療も胡散臭いものから見事な治療家まで玉石混交なので注意と研究が必要である。

そもそもは病に罹患しないことが肝要である。精神(我と利己心の放擲)と物質(食を正すことを中心とした肉体のケア)の両側面に注意を払うことである。我欲の放擲を課題として物質界に存在するなら、道具である物質(肉体)もきちんと管理せねばならないのは当然である。

この後紹介する<革新の生命医学『千島学説』>を知れば、現代人の病の原因を(飽くまで波動には言及せず、物質的生物的病理の範囲内で)遡れば、殆どが血の汚れに見出される。その血の汚れは赤血球の変異のことであり、そしてその変異は間違いなく食の乱れに起因する。その大なる原因は肉食にあることは今更言うまでもない。ウイルスなど外的要因によってもたらされたかの如く映る病変も、外部からの侵入を迎え撃つ人体防御の脆弱さがそもそもの原因である。朝から晩まで菌、ウイルスに晒されない瞬間など、日常生活ではないのである。「入られても悪さをさせない、力を出させない」ことである。

病の原因が今生になく、前の世、前々の世からの因果も絡んで、病弱、虚弱体質であったり、身体に不具のある場合も当然ある。これはこれでその本人もその親もまたはその子も愛念をもって何とか改善しようと様々に東奔西走するであろう。その中で本人もその家族も友人知己も、それぞれに相応しいそれぞれの学びがあり、生活様式が菜食となったり、精神世界の妙に触れたり、健常者にはわからぬ気付きや悟りを得て結果的に建設的方向に向かうことも往々にしてあるのである。人の世の禍福は糾(あざな)える縄の如しである。弱き者の心を知る者が真の勇者である。今生限りの利害得失に呪縛されてはならない。

さて、過去の記事で何度も言及してきたように弟妹である動物を殺害して、その肉片や臓物を食する'豊かな'食文化を是認している残酷な行為は、愛なき想念波動に支持されてのことであり、愛なき想念波動は我欲と利己(エゴイズム)からもたらされ、これらは大宇宙を経綸下にしろしめす一なる根源的神、即ち大愛に逆行するが故に、その大愛の全き生命波動を遮断した、弟妹を殺害して食すその身に不調や病変を来たすのは当然である。
反対に大愛にかなった食のあり方、即ち人類同様に進化の道程を歩む動物等を慈しむ想いの反映として穀菜食かつ小食というあり方であるならば、大愛に逆行することがないため、その身に重篤な病の発生はないのも当然である。

ただし、同じ穀菜食と言えども、動物という人類の弟妹らに対する利他愛による慈愛と守護進化から乖離した「我善しの健康志向」は利己心であり、その身に病を顕しても不思議ではない。しかし、想念、思念が霊質に即効的に反映する四次元とは異なり、反映が鈍重な物資世界において、物質には物質の法則が強く作用する。よって、仮令(たとえ)利己心から行なう穀菜食であっても、生物的病理における血を汚す要素は肉食に比して圧倒的に少ないため、その者の罹患率も低くはなるのである。

何れにせよ、仮令、肉食をせず穀菜食を貫こうとも、別の点においては利己心、利己欲を堅持し、想念波動に歪み、乱れ、汚濁の多い者は、何かしらの疾患症状をその身に呈するか潜在させて抱えるのである。宇宙間の優良惑星人に疾患無きを想うべし。優良惑星社会に医療機関、医薬の存在せざるを想うべし。

故に「我善しの菜食主義」を単なる'健康ヲタク・ベジヲタク'と揶揄するのである。菜食は、生物種を超越した利他愛の表現として自ずと選択される食のあり方であるのが望ましいのである。我欲の不良惑星にあって、弟妹らに向ける慈愛から、菜食を旨とし実行するベジタリアンを優良惑星人が頼もしく想い、より一層親しみを感じるのもまた当然である。
ただし、入口が'利己的な健康ヲタク'であっても、菜食をよりよく実践しようと研鑚する中で、家畜としておとしめられた動物達の悲惨な現状を知り、思い及んで更に情報を集めて学び、利他の心に目覚める事はこの時代には珍しいことではなくなってきた。無関心が興味に、無知が有識に変わった事で、初発は「我善し」という利己であっても、その仮面を脱ぎ捨てて利他へと変容して行くのである。利他へと向かいつつある悪は悪ならず。≪悪を抱き参らせ≫たのである。

悪は≪許されていはいるがそれは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。浄化し弥栄し行く悪は悪でなく、偽は偽でない。動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。≫全ては流転して留まることはないのである。
≪悪も神の働きと申すもの。悪にくむこと悪ぢゃ。善にくむよりなお悪い。何故に判らんのか。≫


因みに、特に米国では2005年現在で国民の70%弱が代替医療(カイロプラクティックやアキュパンクチャー(針治療)は勿論ホメオパシー、オステオパシー、アロマセラピー、足ツボから気功まで近代西洋医学以外の様々な治療法)を選択したことがあると答えている。近代西洋医学のメッカである筈の米国や欧州から近代西洋医学に対する'迷信''盲信'は崩壊してきている。この潮流は地球惑星全土に今後も拡大していくであろう。

近代西洋医学は大病院に高額な検査機器等を配備して進化してきたように見えるが、その歴史の中で進化したのは、患者に負担の少ない新しい術式の開発、危険な術式の廃止、検査機器、診断機器のテクノロジーであり、唯物論的、近視眼的、部分的、分割的、攻撃的理論は旧態依然としたままである。相も変わらず切る、焼く、潰す、散らす、症状を消す(誤魔化す)発想の延長にある。ここにも利権に群がる蟻や「寄らば大樹の蔭」の如き姑息な鼠が自己保身に奔走して巨視的生命医学の発展を阻んできたことも近代西洋医学が今日まで主流として、また正統であるかの如き錯覚を伴って生き残った原因である。
しかし、地球の有する惑星波動が高まりつつある中、根本的には治らない近代西洋医学に愛想を尽かし、近代西洋医学膝元の国々の国民の中から神話が崩れ、その国民らは自らの自然治癒力を信じて、自律神経の調整を以って自然治癒力を引き出す代替医療に向かうのである。

食のあり方においても、肉食中心の西洋的食事のあり方が崩壊し、菜食が健康法として既に揺るぎない市民権を得ているのは、元来菜食傾向の強かった日本国においてではなく、肉食を中心としてきた欧米においてであるのは、近代西洋医学神話の崩壊と同じ潮流の中に起こっているからである。
「医」と「食」は切り離して考えられないのだから、近代西洋医学神話の崩壊の後を追うように肉食否定の潮流が起こることは不思議ではない。

特に戦後の日本国は欧米の機械論的文明の模倣が先進的であると精神まで骨抜きにされ、日本古来の食文化も破壊され、弟妹らの死肉を貪る誇りなき外道に堕してしまった。爾来、欧米で起こる潮流が遅れて日本に到達する構図の中、欧米で既に起こった代替療法を見直す認識は日本国にも今後波状的に拡大していくことは間違いない。
現に日本国内でも機械論的唯物的近代西洋医学の牙城であるはずの大学病院のいくつかが代替療法を治療方針の柱に据えるほど'大胆な'転換を始めているのである。

近代西洋医学の誤謬を突いた『千島学説』の内の一つ、「腸造血説」はこの潮流の中で徐々にそして見事に証明されるであろう。腸造血説の一般認識が進むことにより、その元となる食のあり方が根本から見直され、肉食の完全否定と菜食が当たり前の世となるであろう。

従来のように「食を見直す」と言いながら、結局のところ「肉も野菜も何でもバランスよく食さねばならない」に終始するバランス論(弟妹らの悲痛な叫びにも「仕方ない」の一言で耳を塞ぎ、惨殺してまでその死肉を貪りたいという賤しきエゴを聞こえよく表現したバランス論)ではなく、人間の身体の機構と精神の滋養も含め、人間にとって相応しい食材とは何かもはっきりと示されよう。「何でも食べて」いては病気になるのである。
そして単に医学的見地からの肉食の非ではなく、種を超えた生命倫理上の、また想念波動の理解を得た利他愛に基づく肉食の廃絶へと発展していくであろう。

ただし、『間に合えば』の話である。その惑星人が共に進化の道程を歩むべき弟妹らの他殺死体を貪り食っている限り、優良惑星化を果たす地球に残ることも、そこに再び転生することも決してない。そして、その惑星人がどこに転生しようとも、我欲の我善しである限り、その転生先惑星は不良惑星に他ならず、その身に病苦の絶えることも断じてない。

≪一二三(ひふみ)の食べ方に病気無いと申してあろうがな、一二三の食べ方は、一二三(ひふみ)唱えながら噛むのざぞ。四十七回噛んでから呑むのざぞ。これが一二三の食べ方、頂き方ぞ。≫

(咀嚼の回数は47回に指定したものでなく、100回、150回とトロトロになるまでと理解すべし。)

≪日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食べ物あるぞ。人民の食べ物間違えるでないぞ。≫

≪食べるには噛むことぞ。噛むとはかみざぞ。神に供えてから噛むのざぞ。噛めば噛むほど神となるぞ。≫

≪食べ物頂く時はよく噛めと申してあろが。上の歯は火(カ)ざぞ。下の歯は水(ミ)ざぞ。火と水を合わすのざぞ。カムロギ、カムロミぞ。噛むと力生まれるぞ。血となるぞ。肉となるぞ。≫

≪一二三の食べ方心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉し嬉しで食べよ。天国の食べ方ぞ。≫

≪ただ喜びに向かってひたすらに進んでいけばよいのであるぞ。正しき喜びをまず見極めよ。見極めて、ひたすらに進めば良いのぢゃ。食べ物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食べ物、正しく食べよ。更に喜び増えて弥栄えるのぢゃ。悪い食べ物、悪く食べるから悪くなるのぢゃ。目に見える食べ物ばかりでないぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。嬉し嬉しの道あるに、何故歩まんのぢゃ。≫


『千島学説』 紹介記事へ



さて、宗教や地球の神々、神仏とは何の関わりも無く正義感強く、肉体人間の幸福のために癒しを行なおうとする善霊達の中には、憑かる肉体人間を通じて、世に言う奇跡的治療を施す存在もある。
真偽、正邪はあるものの、心霊手術と称するものもその一つである。九割以上が「手品」「詐術」による'インチキ'であるが、元となった真の奇跡的心霊手術を模倣した自己顕示欲の強い者や詐欺的金儲けの為のものである。模倣の元となった奇跡的心霊手術の背後は四次元の高い位置にはないが、正義感の強い背後善霊であった。正神に奇跡はなく、高き存在ほど啓示的となっていくことからも判断できるとおり、奇跡的心霊手術は大宇宙の順当な運行法則を捻じ曲げた波動により齎されるものである。

本来の「病気治し」、癒しの道の施与は、その患者なり病者の病が如何なる心の誤った性癖から生じたものかを説き分け、その者の心を正させることによって病気の平癒、治癒に導こうとする事こそ最上の方法なのである。病の根本原因が我と利己欲から惹起する道理と病の存在意義を≪御用の悪≫と知るならば、その病を'頂いた'者に我欲の放擲の道を示すのは当然である。これは正義と愛をその人格に内包した施術者とその援護を為す背後善霊でなければ出来ないことである。

大愛、大霊の順当な波動を捻じ曲げて、心霊的手術で患部を治癒する行為は最上の方法ではないが、そこに愛があるかどうかで判断は変わる。正義感だけでは世は乱れるのである。
また、この見分けはその見事な術の割には、施術者の要求する報酬が極めて少ないことが特徴である。(だからといって、施術者の寡欲(欲が少ないこと)や背後善霊の無私をいいことに報酬を値切るような事をしてはならない。)

その他、こうした奇跡的に映る霊力による治療は心霊手術と同じく確かに存在するが、既述の如く背後に邪なものを抱えた者も多く、また真偽も定かでない便乗ビジネスが多いので注意が必要である。
霊力による病気治しは、そこに些かなりとも「心を正せ」「我欲を捨てよ」に相当する我欲放擲により病者を癒そうとする諌めや戒めがあるならば、最上の方法ではなくとも四次元の存在にしては比較的高いものである。
そして、往々にしてこの傾向の施術者の諌めや戒めや諭しの言は病者にとって耳に痛いものである。我欲あるが故に症状を呈しているのであるから、己も気付き得なかった驕りや心の誤った性癖やエゴをポキンと折られてムッとするのである。その心こそ「我」である。その我が病へと導いたのである。
ここで注意しておきたいのが、こうした病気治しもあるという事実とその背後の存在に関して言及したのであり、霊力による治療を奨励するわけでは決してない。本来、奇跡や神頼みで病気を治療しようとしないことである。

≪死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫まるのは悪のやり方。奇跡見せ、病気を治してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなことくらいでマコトのホッコン改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。≫

≪人間の言う神憑(が)かりとは幽界の神憑かりぢゃ。ろくなことないのぢゃ。≫

≪お蔭は、すぐにはないものと思え。すぐのお蔭は下級霊。眉にツバせよ、考えよ。≫

≪まかせ切らねばマコトの安心立命ないぞ。まかせ切るには、まかせ切って安心出来る神をつかまねばならん。お蔭信心や病気治しの神ではまかせ切れまいがな。早う合点結構ぞ。≫

≪気の付いた人からマコトの神の容れ物(いれもの)になりてくれよ。悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる。神のやり方は先に行くほど段々良くなるから、始めはつらいなれど、先を楽しみに、辛抱してくれよ。≫


≪心の入れ替えせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、 我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我の虫が生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。 その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病流行るぞと申してあるが、そのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病激しくなっているから気付けてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教では治らん。 病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。≫

≪食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ(戦)起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。
食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリ積むのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運開くのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまって開けん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。
ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申しているが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。預けられているのであるぞ。人民に与へられているものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあろうが。
遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。理屈捨てよ。捨ててやって見なされ。
みなみな気付かん理、気付かん病になっているぞ。ツキモノ(霊)がたらふく食べていることに気付かんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなって嬉し嬉しとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア≫


本日これまで。


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