第12回 『悪あればこそ弥栄する』


栄える者はいつか滅ぶのが当然と思ってはいまいか。


真に正しき者は栄えて当然であるが、真に正しき者ならば栄えれば滅ぶ事はないのも当然である。

栄えた者が滅ぶのは、真に正しき者が栄えたのではないからである。

真に正しきものとは愛を基準にして正邪・真偽を判断せねばならないのであるが、地球惑星ではこの善悪・正邪・真偽が混沌として未だ定まってはいない。


「悪」も「不幸」も進化のために必要であるけれども、正して、学んでこその進化であり、「悪」も「不幸」もそれを放置してよいわけではない。

その「悪」に己の姿を観て、「不幸」に己の至らなさを観て、心を正すこと、即ち我欲を手放していく事が肝腎なのである。

地球人類は須らく愛を基準として善悪・正邪・真偽を判断せねばならない。
これが何ものも縛らず、また何ものにも縛られない全宇宙を貫く鉄壁の法である。
この愛に反するとき、全ては悪であり、邪であり、偽なのである。

「さもありなん」と大方の地球惑星人は頷(うなづ)くに違いない。

然るに、この愛という僅か一文字を体得するのは不良惑星人にとって決して容易な事ではない。

地球が不良惑星に属している現実こそ、その動かぬ証拠である。

愛を体得した優良惑星では各優良惑星人の愛の度量は各人各様では在るが、いずれも

不義、欺瞞、搾取なく、

人を縛る法律、条令等制約はなく、

所有概念もなく、

軍隊は疎(おろ)か、いかなる防衛組織もなく、

同朋を裁き、取り締まる機関もなく、

勝ち負けを見て楽しもうとする惑星人はいないため、いかなる競技も競技施設もなく競争もない。


惑星人は相互信頼のもと、心を開き自他一体と利他心で暮らしている為、境界もなく、許認可等諸制度も必要なく、他を傷つけ奪う惑星人は存在しないため、警察もなければ当然裁判所もない。


よって、多くの優良惑星では人名を登録して戸籍を管理する必要はなく、名前をもっていない惑星人が殆どである。

その奉仕や活動の内容や働きに応じて名をつけたり、その惑星人がその時点で持つ属性を表わすために愛称を用いる事はあるが、地球人や他の不良惑星人のように支配と管理と相互不信からもたらされる防衛のため登録、登記するなどと言うことはあり得ないのである。

(シルバーバーチャンなど地球人の認識のため仮につけた名称であり、本来どうでもよい名前である。)


また、先回の記事(第11回)で述べたように、その惑星・遊星の人類の想念波動は、動物など他の種族の進化に対して特権と責任を有し「進化の船頭」として、他の生命の進化を左右するため、優良惑星人の肉食は勿論絶対になく、動物界においても、いかなる弱肉強食の様相も見ることは出来ない。

他を捕食する猛獣・猛禽とこれに類する生物は存在できないからである。


地球を'常識的''標準的''先進的''文明的'惑星と思い込んでいる閉ざされた惑星人・地球人には
優良惑星の生活は、将におとぎの国か頭脳の弱いメルヘンチックな単なる平和主義者が思い描いた絵空事のように映るはずである。


それを否定までしなくとも、精々
「そんな世界が在ったらいいよね。」
とつぶやく惑星人が殆(ほとん)どである。


「在ったら」

という表現自体諦めと絶望の念の現れである。

その絶望の念は絶望を引き寄せるのである。
(自ら絶望を引き寄せる惑星人には優良惑星人も手を差し伸べることは出来ない。
その絶望は大難を大難のままにして一大天譴はより一層激しいものとしてしまうし、暗躍する邪神の思う壺となり、いつ大きく傾くか知れない全面核大戦の可能性から遠ざかることを困難にしていく。

一大天譴は避けられない必要な
「大洗濯」であるが、全面核大戦だけは何としても回避せねばならないのである。【第7回『アセンションを阻むもの』で述べた核の炸裂の波動で地軸を傾けて砕け散った第五番惑星の轍を絶対に踏んではならない。】)

地球惑星人には俄(にわか)かには信じ難いことであろうが、この銀河系だけでも、どの不良惑星も唯物科学の行き着く共通点として手に入れる核の力とその誤用で地軸を傾け流星化、小惑星化する惑星・遊星が地球時間の一年にして、1,000星前後にも上るのである。

勿論、この数は銀河系内の惑星・遊星の総数においては僅かな数字だが、そこで失われる生命進化上の犠牲は膨大な数に及ぶ。地球惑星の場合63億人の人類に加え、その数万倍の各意識段階にある肉体生命種とその実数分の命が犠牲になる。


このような最悪の事態に至った場合、他の数え切れぬ種族に対して、愛無き人類はその愚行を一体どうやって償うつもりか。


地球と太陽系が属する銀河系のような島宇宙が宇宙間には無数にあり、それぞれの島宇宙内で惑星爆発等により膨大な進化の遅滞がもたらされているのである。


地球もアセンションを目前にまで迎えながら、そこへたどり着けず、
「最悪の事態」を迎える危険は未だ去ってはいない。)


我と利己欲を完全制御した優良惑星人の桃源郷のような暮らしの一方、
不良惑星の中では比較的上位に位置する地球の場合でも、愛を基準とした正邪・真偽は未だ定まっていないため、優良惑星とはほぼ正反対といってよい自由度の大変低い世界・社会が展開している。


地球惑星人が当たり前の行為、考え方として受け入れていることがどれだけ宇宙則、即ち愛に逆らうことかも解らず、日々平気でこれを犯しつづけている。

地球惑星人は、目先の利害得失に心奪われ、過去を後悔して思い出しては憎しみや恨みの念を発し、未来を思っては、ありもしない不安、心配に苛(さいな)まれ、国も地域社会も団体も個人も隣人に対して傷つけられまい、騙されまい、やられまい、取られまいと相互不信故に互いに身構えて暮らしているのである。

宇宙間には優良惑星群のような生活があるというのに、この戦々恐々と互いに身構えて暮らす不良惑星を標準であるとしている。

いかなる惑星も衛星も遊星もそこに住する惑星人一人一人の想念の総体とその惑星の定められた進化上の波動上昇との総和によって、その惑星も惑星に住するあらゆる生命の命運が決定されていくのである。

よって不良惑星に天災地変、事故災害、戦争闘争、叩いても叩いても新手が襲い来る病気などありとあらゆる不幸の原因は個々人が両の手にしっかり握り締めて離さない我と欲なる心根、すなわち愛の度量の小ささにある。

邪神・邪霊が幾ら屯(たむろ)って、暗躍しようとも、地球人の精神性が同調せねば彼等には何の力もない。


≪悪の気断ちて下されと申しておろう。

心の鏡の凹凸なくなれば、悪うつらないのざ。

悪はなきものぞ。

無きとは力無きことぞ。≫



しかし、現実は地球人類の自己主張甚だしく各々の利害が一致することはなく、底なしの欲望に自らの身を焼く粗い波動に邪神・邪霊はみるみる力を得てこの地球を永年にわたって支配してきた。


それら邪神の傀儡となった肉体人間達により構築された「勝者の理論」がこの地球惑星の不幸に拍車をかけてきたのである。


繰り返して言うが
地球惑星人は戦争と闘争とはあたかも種類が異なるもののように信じて、戦争はけしからんが、闘争は生存競争や生活のためある程度は仕方ないと思っているのである。

戦争であれ闘争であれ、互いに相手を尊重できないところにどうして愛があるというのか。

戦争も闘争も愛無き行為という意味でまったく同列のものである。

争いの単位が国、社会、集団、個人の違いであるというだけである。

この根本原因のひとつは、とくに自由主義先進諸国において、その教育の根幹に自己主張を正しいことのように教え込むことがある。

自己主張は我欲の集約であり、争いごとの根本である。

自己主張がぶつかり合い、互いに利害が対立するのを収拾するため、各国家ごとに法律を制定して、各国家の秩序を守ることができるかのごとく装ってはいるが、現実は法を厳しくすればする程、各種の犯罪も内乱もその解釈の混乱も増えこそすれ減ることは無いのが現状である。

優良惑星にはいかなる法も存在しないが、地球の、特に刑法というのは最も低級な法である。地球社会の犯罪が起こる場合は様々あるが、社会の諸悪自体に犯罪の動機を誘発する素地を有している上に、その社会に住む一人一人の我欲に端を発し、我欲の集積が噴出するところが犯罪の発生するところなのであるにもかかわらず、事の結果のみを裁く盲目的制裁でしかなく、犯罪の起こる原因を取り除こうとはしない低劣な制裁制度なのである。

結局のところ、地球惑星人は善悪を超越した正しさを解明、理解する能力が乏しいか全く無いため、一部の勝者の理論やずる賢い巨悪に媚びへつらった、権力に都合のよい道徳、学問、宗教、科学をもたらして、その上に生活の為と称する生存競争、闘争、制裁をあって当然のこととして、いつしかこの狂気に疑念も抱かず、不調和と破壊の大行進を続けているのである。

地球の勝者の理論とは知力、財力、武力を背景にした強者の自己保身の理論である。

そこに共生の概念はない。

地上にかつて存在したアトランティス等太古の文明から現存文明に至るまで、いずれの文明においてもこの勝者の理論は正義の仮面をかぶり、その美名に隠れ、「勝者の理論で取り決めした善悪」で弱者を蹂躙して(じゅうりん:踏みにじって)、都合よく裁いてきたのである。

弱者は生き延びるために、勝者の理論に従い更に弱い者へと矛先を向け、搾取と支配を蔓延させてきた。

不良惑星では、知力、財力、武力をより多く有するものが勝者として君臨し、法を定め、文化を操り、学問も捻じ曲げ、宗教で煙に巻き、国によって異なる道徳で偽善を続けてきたのである。
(道徳は国や地方によって異なり、真理の足元にも及ばないばかりか、その時代、時代の為政者の都合に合わせていいように書き換えられてきた。)
この背後にはその強者の我欲に付け入った邪神・邪霊が暗躍してきた事は言うまでもない。
こうした勝者の理論によって弱者を踏み台にした繁栄は、愛の度量とは全く無関係である。
故に愛に立脚していない覇者は早晩滅びることになるのである。
地球波動の高まりにより、この覇道を以ってのさばった巨悪は今後加速して白日の下にその欺瞞と秘密を晒されることになる。
(それに伴い世は騒然となるが、心を動揺させてはならない。
これらは一大天譴の序曲である。
この程度でオロオロして、悪想念を発して、ひっくり返っていては神の御用は勤まらない。)


今や財力を手にする者が囃(はや)し立てられ、喝采を浴びるのは嘗て滅びた文明末期の特徴と酷似している。

財力を手にして勝者となった者にへつらい、その財に群がり囃子立てる「蟻」も愛無き勝者に同じである。


いずれの文明も武力による土地争奪・所有の時代とその土地由来の食料の確保に始まり、土地所有に勝ち残った国、集団、個人が爛熟した貨幣経済を背景に影響力を持つ。
この財の争奪戦に知力のある者が加わり、より小手先の欺瞞で富を一部の強者へと集中させて行く。

国際舞台では、より立場の弱い国々から原料、食料、人的資源まで搾り取り、国内では官僚はその人民から過剰な税を取り立てるようセンセイを操り、建前と偽善で無駄遣いし、大規模法人集団はより小規模な法人から買い叩いて暴利を貪る。国家も大企業も個人資産家も、直接間接を問わず、いわゆる

「下請けいじめ」
「弱いものいじめ」


の上に成り立つ
「成功」「繁栄」を手にしているに過ぎないにもかかわらず、仮初の成功の美酒に酔いしれ、自尊心を抱えて下請けに横柄な態度で無理難題を押し付ける。


こうして
「下請けいじめ」で付けた強い競争力で、外国を相手に稼いだ外貨の見返りに、外国から食糧輸入で農畜産物を大量に買っているのである。

このことで国内の食料自給率は一向に向上しては行かないのである。

そして下請けいじめをして成り立っている大企業群は食料自給率の低さには

「我関せず」

を決め込む。


企業として、また人間としての低劣さ、低級さで弱者を踏みにじって築いた繁栄は砂上の楼閣である。

「トドメ」の波で砂上の楼閣は傾き崩れ、洗い流されていくであろう。

こうして大企業が鎬を削る先進諸国に暮らす殆どの者は、財の力により世界中から食料をかき集め、その結果食べ切れずに捨て、有り余る贅沢な食事を当たり前のものとしている。

この財をもった強者の理論により、自ら作った農作物でありながら自らの腹には落ちない貧しい国々の人民は、日々の食事もままならず、その子供等から先に骨と皮だけになって飢え死にしていくのである。

利他愛から懸け離れたこの勝者の理論は愛に反する故に滅びへと向かう他はないのである。

このような非道は優良惑星にはありえない図式である。

全人類に行き渡るだけの食料は用意してあるにもかかわらず、
勝者の理論で自己保身を図る国、
企業、個々人により不平等極まりない愛無き
「弱者切り捨て」
が罷り通る地球惑星がこのままでは弥栄するはずもない。

そのトドメが
一大天譴なのである。



昨今何かと取り沙汰される
「戦争犯罪人」
にも、戦勝国の勝者の理論によって戦争犯罪人に仕立て上げられ、陸(ろく)に裁判もせず裁かれ処刑されてしまったのである。

戦争の勝敗の立場が逆であった場合、処刑した者共が処刑される立場に回るのである。

一体何を以って戦争犯罪としているのか。

地球の勝者とは、この程度の愛無き自己保身の理論を正義の名の下に振りかざす低劣極まりない者共のことをいうのである。

このように地球の勝者の理論とは愛を基準にした宇宙則に適うものではなく、自己保身のために他の犠牲を強いる狡猾な理論である。


宇宙則、天則に反した理論で他を裁いた者共はいずれ天則によりその者共の罪状に応分の裁きが下るであろう。

今生、冤罪(えんざい:無実の罪に裁かれること)で投獄され檻の中で号泣する者、いわれ無き被害に遇って激憤して泣き喚(わめ)く者、陥(おとしい)れられて困窮する者など、前々の世で人を裁き陥れた宿業を抱えて転生した者が多い。規模、程度の差こそあれ日々同類の罪を積上げつつある者はその罪業に応じて、身をもって償うことで魂のバランスを取らねばならない。逃れることは決してできない。何故なら愛は峻厳だからである。

こうして裁き裁かれ、殺し殺され、騙し騙され、欺き欺かれ、責め責められの負の連鎖は流転して因果は巡り続ける。負のスパイラル(螺旋)ダウンである。

日本国には「因縁相成就」という言葉がある。

「因」とは物事の直接的原因、「縁」とは間接的条件のことである。

仮令(たとえ)今生で裁かれるような「因」が過去世または今生の過去にあっても、これに「縁」を与えなければ宿業の結果は現れてこないのである。

この「縁」の働きをする悪想念の制御は広くはまだ知られていないか、知られていても軽んじられているため、もしくは惑星人が頑迷固陋であるため、

「わかっちゃいるが憎いものは憎いし、腹の立つことには腹が立つ」

と言って悪想念を出し放題に出し、我を折らず、利己の欲心を放縦しているため、それは抱えている「因」に「縁」を進んで与えているようなものなのである。

これでは宿業は
「相成就」するのも止むを得ない。


この巡る負の因果に終止符を打つ方法は

万人の悪想念制御以外にない。


地球は人類が想像している以上に極めて危険な状態である。

そして残された時間は本当に、
本当に
僅かである。


≪善と悪と二道かけてならんぞ。

理は一本と申してあらう。

悪は悪として御役あるぞ。

悪と偽りの中に悪の喜びあるぞ。

善と悪の二道の中には、二道かけては喜びないぞ。


喜びないもの亡びるのざ。

御役の悪とは悪と偽りの悪であるぞ。

悪と善との二道かけての悪でないぞ。

心せよ。悪は悪にのみ働きかけ得るのであるぞ。

善に向つて働いても、善はビクともせんのぢや。

ビクつくのは、悪に引込まれるのは、己に悪あるからぞ。


合せ鏡と申してあろうが。

悪の気断ちて下されと申しておろう。

心の鏡の凸凹なくなれぱ悪うつらないのざ。

悪はなきものぞ。


無きとは力無きことぞ。

悪あればこそ向上するのであるぞ。

悔い改め得て弥栄するのであるぞ。≫


≪少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、
大弥栄の仕組≫



≪ 人民一度死んで下されよ、

死なねば甦られん時となったのぞ、

今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、
世がかわると申してあろう、

地上界の総てが変るのぞ、

人民のみこのままと言うわけには参らぬ、

死んで生きて下されよ、

タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、
同じところで一先づ交り合うのであるから、
人民にはガテンゆかん、
新しき世となる
終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ≫




本日これまで。


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