第11回人類の特権と重責
動物の進化と人類の想念波動

例えばの話であるが、

ある優良惑星人の目の前で、不良惑星人が息も絶え絶えに死につつあったとしよう。

それでも、それがその魂にとって肉体を脱ぎ捨てることが必要な死であれば救命してはならないと判断できるのが優良惑星人なのである。

助けるべきか死なせてやるべきか判るから、逝かせるべきなら決して手を出さない。


これも愛である。


不良惑星人はこの判断ができないため、どうであれ救命せねばならない。

これが不良惑星人のレベルで実行できる愛である。


話は少し逸れてしまったが、この「特権」は不良惑星人が連想するような、「他に対して優越する支配権」のことではない。

宇宙進化に寄与する奉仕の精神を持つ者にとってのみ特権たり得る愛の履行権である。


これを履き違えると地球惑星人のように人間は「万物の霊長である」などと言って思い上がり、動物を含めた弱者の犠牲の上に、我欲をますます放縦(ほうじゅう:わがまま。やりたい放題。)することになる。


優良惑星人は自らを万物の霊長などと慢心することなく、「神の通路」「神の道具」と神の大愛を現象界に発露させる実行者として振る舞うのみである。

神の大愛を物理世界なら物理世界で、想念世界なら想念世界でそれ相応の手段を使って実現するのであり、利己、すなわち己の我欲の充足のために、その知能を現象界に反映することはないのである。

従って、人類は「肉食動物は弱いものを殺して、その肉を食べるし、人間も動物なのだから、殺して肉を食べてもよい」と捉えるのではなく、実は肉食動物が肉を食べるのは人間の精神性を反映して進化が遅れているのであるから、肉食動物がその惑星上に存在する事、またそれらが肉を食べる様子を見て、「生命進化推進者」「進化の船頭」「神の大愛の通路」である人間は挙(こぞ)って自らの精神性の粗野、野蛮さ、未熟さを反省せねばならないのである。

肉食獣は人類想念の反映した姿なのである。

肉食獣の存在とその食餌の行為はその惑星人類の精神性進化のバロメータであったのだ。


『関係ねーだろっ!ワケ解んねーこと言ってんぢゃねーよっ!』


と言って肉を食すその精神性が肉食獣をいつまでも旧型として存在させてしまうのである。

するとこう反応するかもしれない。

『じゃあ、人間の精神性の進化は肉食獣を滅ぼして殺すってことになるぢゃねーかよっ!
それって「殺し」だろうがよっ!』

と。


一面的にはそうである。
恐竜が地球波動の上昇に耐え切れず旧型として滅んだように滅ぶことになるであろう。

しかし、強制的にその命を絶って滅ぼすのとは異なる。


地球波動上昇による恐竜の滅亡の場合、まず環境の変化から始まった。

生命波動による植物の変化がそれを食(は)む草食動物の変化を齎(もたら)し、草食動物の変化が肉食動物の変化を齎した。

巨体を滋養する必要がある肉食恐竜は変化について行けずに滅んだのであった。

また、波動そのものの変化で草食恐竜も卵を産まなくなったり、卵が孵化しなくなって滅んでしまった。


波動の上昇により生物としての旧型は、その肉体が生命としての魂の進化に不適格となれば病気や事故で、また寿命を迎えたりして自然の成り行きで死に、その魂は新たな進化型生物として登場した肉体に転生機会を与えられて宿り、新たな地上生存体験を進化型生物の肉体と脳を通じて魂に刻み込み、生命として進化し続けるのである。


この意味で、人類の精神性進化による想念波動で肉食獣が自然に死に絶えて滅ぶことは破壊ではなく進化推進の一環なのである。

その肉食獣の生命は次第に肉食傾向の少ない生物へと転生移行して、久遠の未来にどこかの未開星や不良惑星にて人類として登場し、学びを与えられるのである。

その頃、現不良惑星人の一部も優良惑星人となって、その「特権」を駆使して一なる創造者の大愛の地上実行者として「弟妹」(ていまい)らの進化促進に奉仕・寄与して宇宙間を飛び回っていることであろう。

言い換えると、現優良惑星人もかつては不良惑星人であった訳である。

肉食は不良惑星人という段階で陥る大きな落とし穴なのである。

これも自我を発達させ、我欲に目覚めてしまったことによる不幸である。

これを克服して優良惑星人となると、それ以降の優良惑星人として何十万、何百万年の進化の道程に肉食はもはや登場しないのである。


更に優良惑星人から先の進化においては低次の肉体を必要としないため、肉食どころか食そのものとは無縁の存在になっていく。
優良惑星では動物でさえ肉食はしない。猛獣、猛禽、猛魚は疎か、毒蛇や毒虫もいない。

その理由は『人間が進化したからです。』(シルバーバーチ)の一言に収斂(しゅうれん)する。やはり「想念波動ありき」である。


人類が進化すればするほど、地上の暗黒地帯が減っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。』


このシリーズを通して述べてきた想念波動とその作用をよく理解し、人類の想念は業想念を通じて、地殻変動始め人災、天災に影響を及ぼす事を知るばかりでなく、人類は愛しき「弟妹」である他の生命の進化促進に、本来は神の大愛の地上実現者として特権を持ち、重責を背負っていることをよく銘肝しなければならない。

不良惑星人は肉食獣の食餌行為を『吾等人類の想念波動まだまだ清まり足らず』と反省の対象とせねばならないのである。

にもかかわらず、肉食獣と一緒になって肉を食べてどうするのか。焼かれた弟妹(ていまい)の肉片が己の身体の中へ落ちて行く様(さま)に心痛まぬか。


人類や草食獣とは異なり、肉食獣はその魂の発達段階に呼応して、本能として肉食を許されている。

その獰猛性を維持させるも、減弱させ進化させるも人類の想念波動次第なのである。

人類の精神性が進化すれば、肉食獣の残忍性は薄らぎ、遂には消え去るのである。

即ち肉食獣の存在意義は人類の想念波動の清濁判定にも見出すことが出来るのである。

猛獣、猛禽、猛魚等肉食動物は惑星の波動上昇で一大天譴とアセンションを通じて古い型として淘汰され、また一部の肉食・雑食獣はアセンション時に人類同様遺伝子変容が起こって肉食から草食へと進化することが予定されている。


本来ならば人類の精神性進化により徐々に肉食獣が姿を消し、一大天譴なしに、緩やかにアセンションを迎えて優良惑星化することが理想であった。

しかし、現実は地球人類の精神性進化は遅々として進まず、その一側面としての肉食も含めて業想念帯の浄化は疎(おろ)か業想念帯への悪想念の更なる蓄積は進んでいる。

こうして肉食獣の緩やかな滅びと転生、即ち進化を実現させ得ず、一大天譴という形で彼等を巻き添えにして一気に絶命させる事になる。これこそ彼らに対する慈悲なき殺しであろう。

殺しといえば、シルバーバーチャンと交流のあるビーガンベジタリアンがこんなメールをくれた。ベジタリアンを非難する書き込みのコピーであった。

「お前らベジタリアンは、屠殺業や精肉業、乳製品を扱う業者、毛皮、革製品を扱う業者の職を奪おうとしている。畜産業者は失業して中には当然自殺する人も出てくる。お前らのやっていることは人殺しだ。」と非難を受け、どうして次から次へとこうした意味のない非難をする人が後を絶たないのかと胸を痛めていた。


このベジタリアンに対してシルバーバーチャンはこう答えた。

≪ 確かに全人類が菜食になれば、畜産業者は不要な職業ですから廃業になるしかありません。

自動車、電車が発明されて、飛脚や籠かきが居なくなったように・・。

また一斉に皆がベジになるわけではありません。

なったとしても徐々に、徐々にです。

明日から畜産業が全廃になるわけではありません。

徐々に職業の転換が図られていきます。

それに畜産業がなくなるからといってどうして自殺するのでしょうか?

牛や豚を殺すことしか能がないわけでもあるまいに。

別の仕事を探しなさい。

日々是屠殺に励み、何千万の命を奪うという直接殺生をしたのですから、そのぐらいの事は当たり前です。


それとも牛や豚の命を軽く見たのと同じように、
己の命も軽く見ているのでしょうか?

それで牛や豚を引き裂いて殺した機械に自分を掛けて引き裂き自殺でもするというのでしょうか?


世界は時代の流れに合わせて変化して当然です。

刀鍛冶が今の世にどこかの商店街に軒を連ねて営業していますか?

ちょんまげを結った侍がどこかの住宅街に住んでいますか?

刀鍛冶も侍も籠かきも飛脚も皆、自殺したのでしょうか?

電車や自動車を発明した先達は皆殺人者なのでしょうか。

毎日通勤・通学にそれらを利用している人々は殺人行為の恩恵を享受しているのでしょうか?


違いますね。


変化は徐々に起こり、人々もそれに合わせて次第に変わっていくのです。


あなたを非難したその人は、肉を食べるという自分の欲望を正当化するために、畜産業者を盾にして、

彼等の失業=彼等の自殺

と短絡させて自分だけの正義を補強しているに過ぎません。


あなたを非難するこの方がこうして怒るのは、

本人が認識できない意識下では

「肉食は人間として恥ずべき下卑た低級行為」

と解っているからこそ、死肉に群がる自分を賤しく思って惨めになり、

一方、無意識から湧き上がる惨めさを打ち消そうと自意識が働き、意識上では反動的にその行為を正当化しようと口角泡を飛ばしてあなたを非難するのです。

この方自身にも意識できない罪悪感と劣等感の補償行為なのです。


しかも畜産業者の自殺を引っ張り出して、彼等を擁護する正義の人であるかの如く振る舞い、他人の陰に隠れてあなたを非難するところに小物の器が露呈しています。

本当に肉食に対して鈍感な人は、あなたが何を言おうと非難された気にはならないため、この方のようにあなたを非難しません。

つまり、この方にも肉食に対して意識の奥の奥では良心の呵責があるということなのです。

お気の毒な方ですから、せめてあなたはこの方を許してやってはいかがでしょうか。 ≫



≪せめてあなたは許してやってはいかが≫

…と何故シルバーバーチャンが言ったのか。

それがこのベジタリアンの方の許しという愛の学習であることもさることながら、
この非難した方の末路をシルバーバーチャンは脳裏に見て取ったためである。

(そもそもこのベジタリアンの方は、非難した方を責めてはいない。
ただ悲しい思いで一杯になったのであった。)


その末路を描写するのはおぞましいので、以下に本稿の冒頭で紹介した「ペットが死ぬとき・誰も教えなかった別れの意味」の著者シルビア・バーバネルの言葉で代弁させていただくことにする。


『道徳的に間違っていることが本当の科学の世界で正当化されるということは、絶対にありえません。

人間がこうした身勝手な理屈をでっち上げる原因はいろいろと考えられますが、最大の原因と思われるのは、物的身体という、存在として最も次元の低い媒体に包まれて、その波動から抜け出るのが容易でないということではないでしょうか。

ですから、いわゆる死という過程を経て物的身体から解放されると、感覚が鋭敏となり理解力が深まって、
地上時代の行為の間違いが強烈に意識されるようになります。

そこから良心の呵責が始まり、魂の煩悶(はんもん)に苦しむことになります。それがいわゆる「地獄」なのです。』


「たった一度の、しかもこの程度の非難」で良心の呵責に苦しみつづけると言うのは理不尽である。
が、一事が万事である。この者は
≪悪のキ≫(=我と欲)を堅持して、何かの切っ掛けさえあればいつでも「戦闘開始」し、他を非難し裁く心根を持しているのである。

日月神示でいうところの

≪悪のキ断ちて下されよ。≫

である。

日々の暮らしの中に散りばめられた出来事を通じて起こる悪想念ではあるが、この悪想念の制御訓練を一瞬一瞬怠りなく自分の心の動きを監察し続け、気付き、許し、悟り行き、大器の人になって行くことによってしか、≪悪のキ≫(=我と欲)を断つことはできないのである。

日々の暮らしの中に起こる「悪」はそのためにどうしても必要なのである。・・・


≪悪は悪ならず。悪憎むが悪ぢゃ≫



悪のキ(=我欲)あるが故に「悪」が映るのである。

日々の暮らしこそが修行であとする所以である。

日々の暮らしが自分発見と反省と進化なのである。


≪褌(ふんどし)締めてくだされよ。

勇んでやりて下されよ。≫



「反省」は心を明るくするものであり、心が暗くなるのは「後悔」であるということも心得ておくべきである。

悪想念制御に失敗してはまた挑戦し、また失敗しては挑戦して漆塗りのように成長していくのである。

同じ失敗でも質が向上して行けばよい。

山の頂上へのショートカットはどこにもないが、登って下りて、また登って下りても、意志のベクトルは常に「許しの自分で在れ」、「奉仕の自分で在れ」と、山の頂上に向かっていればよいのである。

誰も「完全」など要求していない。

「神」は我欲を打ち捨てようと努力する者には、厳しくも底なしに深い大愛を授け続けているのである。

皆不完全である、故に許し合わねばならない。


≪悪憎むが悪ぢゃ≫


この非難、
攻撃する想念は
両の手に確り握り締めた我と欲から惹起されるのであるが、この我と欲も程度による。

その程度によって裁かれることになるであろう。

誰が裁くのでもない、良心の呵責で自らを裁くことになるのだから

≪せめてあなたはこの方を許してやってはいかがでしょうか≫と言っているのである。


いかなる不良惑星人も一なる創造主の分け御魂、神の子であるが故にその良心は決して消滅することはない。

あの悪辣極まりない邪神・邪霊にあってすら良心をその意識の中核に堅持しているのである。邪神・邪例も遥か遥か太古の昔には人間であったことを忘れてはいけない。

(潜象界も人間界もよく知っている老獪な邪神ほど
「改心」すればその転換は物凄く速い。酸いも甘いも噛み分けた老獪さ故に、その永く眠った良心が創造主の波動に共鳴すれば、その大愛に打ち震えて瞬く間に改心するのである。)

人間は鈍重な肉体を持っている時ですら、良心の呵責というものは頭から離れることはなく苦しいものである。

肉体人間ですら良心の呵責に苛まれることがあるのに、鋭敏な感覚となった霊体にとって「自らを裁く空間」で味わう煩悶は筆舌に尽くしがたい。

そうなってからでは時既に遅しである。肉体を持っているうちに、一刻も早く、よりはっきりと覚醒していかねばならない。

日々の暮らしを、その想念波動以て、弟妹への奉仕と為しくれよ。

本日これまで。


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