シリーズ『シルバーバーチャル星人の生活』

第1回 『善良・優良惑星人の前提』


地球人の誤解を恐れずに言えば、一見するとシルバーバーチャル星社会は地球の共産系社会に似ている。

が、地球地上で共産主義が成り立つ事はありえない。

地球社会とシルバーバーチャル星社会において、根本的に異なる点はシルバーバーチャル人類は一人の例外も無く相互信頼と奉仕の精神で暮らしている点である。

地球人類のように我と欲に凝り固まり、美辞麗句でその醜態を隠しながら生きる似非共産主義下では、同じ給料、同じ住みかを与えられるなら、より多く働かないでおこうとするのが常である。

よって社会の生産性は上がらず、進歩の度合いも遅々として進まない。

シルバーバーチャル星に転生してくる精神体は幾多の惑星への転生体験を経る度に、一進一退しながらも現存地球人のような未熟な状態から現在のシルバーバーチャル星人へとその魂を進化させてきた者ばかりである。

シルバーバーチャル星人も地球人もその容姿における違いに大差はない。

およそヒューマノイド型の祖先から進化した惑星人は進化の最終段階へと向かうベクトルの中で、必ず頭、胴体、2本の腕に2本足で直立歩行というスタイルをとる。
(地球の古いサイエンスフィクションに登場するようなタコ型の知的生命体は実際には存在しない。)

また、シルバーバーチャル星人と地球人は琴座系ベガ星人をその祖先として同じくするため、シルバーバーチャル星人は地球人に紛れ込んでもまず区別はつかない。

シルバーバーチャル星人は、精神体の単なる入れ物に過ぎない肉体やその基本的生物的機能における比較において地球人と大差なくても、その中身、即ち肉体に宿る精神体とそこに幾多の転生経験によって育まれ、刻まれてきた理念が地球時間にして4万年ほど地球人より進化している。

優良惑星に昇格して後、
既に4万年の進化を遂げているシルバーバーチャル星には、幾多の惑星経験を積み、理念高き魂しか転生しては来れないため、生まれながらにしてその心には慈愛と本能のごとき奉仕の精神が根付いている。

己または己の家族のみを利するなどという狭隘なる偏愛を持たず、己という存在がいかに社会に貢献できるかのみに意識が注がれているといっても過言ではない高邁さを持ち合わせている。

地球人のように図らずも自己満足に陥ってしまう奉仕活動とは比較も仕様がないほどに自然なのである。

地球人の富裕層、いわゆる金持ちの暇人、有閑マダムなどに限らず、地球人の場合
「他人様のためになる事が気持ちのいい事」であることに疑問を差し挟む者はいない。

たとえそれが人の目に触れようが、触れずに陰徳を積もうが、奉仕をして気持ちが良いと思うのが地球人である。

更には、名誉や功名心を糧に奉仕活動に勤しんだり、宗教の傀儡(操り人形)と成り果てて「ご利益」など内心密かに見返りを求め奉仕活動にのめり込んだり等もっての他である。

シルバーバーチャル星人を始め、ある一定の精神文明を築いた善良・優良な惑星人は、その日常の暮らし全てが奉仕そのものであるため、
『我ながら、いい事をしたわい。』などと思う事が微塵もない。

地球では他の為に己を犠牲にしてまで尽力し貢献する事が美談であるし、感動を呼ぶ訳は、それが
日常茶飯事に起こることではないため
である。
稀有であるから取り上げられ、感動話となる。

地球で昔、ワシントンという米国の歴史上の指導者が、その幼少の頃のある日、祖父の大事にしている桜の木を切り倒したことを正直に白状した事が美談であるかのように地球の学校という機関で話によく登場するが、自己の保身などの為に嘘をつく事の方が日常的にまかり通った社会であるからこそ美談となるのであり、シルバーバーチャル星の社会ではどうしてそれが美談となろうか。

シルバーバーチャル星人にとって、各人の愛念の強さに応じた全ての実践は地球人が呼吸をしたり、靴ひもを結んだり、歯を磨いたりするのと変わらない日常の事なのである。
それほどに愛念の強い調和の取れた惑星人なのである。

地球人が乱用・誤用して止まない「愛」という独占欲や自己満足や麻薬的呪文とは愛の概念が異なる。

その根底にある感覚は

自他一体感


なのである。

「俺が(我)、俺が(我)」という我と欲がなく、自他の区別をしない惑星人は善良・優良星人のランクに位置付けられている。

怒りを始め、憎しみ、呪い、羨み、不平、不満もなく疑いも迷いもない、他を責める心もなく、己のみが正しいとの驕りもなく、常に平常心で暮らす惑星人を善良・優良星人というのである。

地球人は「そんな奴は馬鹿同然だ。そんなことでは(地球では)たちまちだまされる、利用される、馬鹿にされてしまうし、第一生きてはいけまい。

地球では憎しみ、妬み、羨み、怒る事は当たり前。
攻撃し、不満を言い、権利を主張し、我を張り、欲を張り、他を押しのけても進まねばたちまち没落していくんだ。」
という。

それはそうであろう。

地球社会ではそうであろう。

その地球社会を構成しているのはそういう地球人類なのだから。

旧態依然としたままでは、これまでも、これからも遅れた文明のもと苛烈な競争と戦いに明け暮れる不良惑星人のままである。

いずれ地球人もシルバーバーチャル星人のように脱皮する時が来るが、自助努力と外部の強制力(地球規模の災害等を体験する事により、地球人類がそれぞれのイデオロギー主張とマネーに奔走する(奔走せざるを得ない)自己の有り方に心底疑問を感じ、
『本当に大事な事』は何なのか精神的覚醒を惑星規模で地球人に促すトドメの力)による艱難辛苦を乗り越えた者達が新生地球人類として再起するまで、ここでこれから述べて行くシルバーバーチャル星人と地球人のギャップは埋まらないのである。

強制力、外力とは大規模な天変地異という形を取る。

2005年現在まで年を追うごとに災害の規模が大きくなってきているが、この時働く強制力はこれらの比ではない。

ガス、電気、水道などライフラインはもとより、家屋、ビルや道路や橋など社会インフラも壊滅的状況となり、貨幣経済システム始め、一切の社会システムが完全に麻痺、崩壊する。

住むところも避難するところもなく、生き残った(生き残らされた)心ある人類は、焦土と化した混沌地球で、全くのゼロからのやり直しを余儀なくされる。

従来の社会システムを踏襲した金銭勘定などしている暇もなく、互いに命がけで助け合う淘汰後の新生地球人類の結束は強く、貨幣経済をそのまま忘却の彼方へと押しやっていく。

ここに互助の精神と相互信頼に基づく新しい社会形態の原型が構築されるのだ。

この一大転換に乗じて、嘗ての盟友、朋友、兄弟姉妹であり、すでに高い精神文明に帰着した琴座の系譜を持つ惑星人が大挙して援助の手をさしのべる。

淘汰前とは異なり、新生地球に辛うじて生存を許された地球人、即ち優良惑星人「一年生」に手を差し伸べるわけである。

淘汰後の世界には怒り、憎しみ、相互不信、利己的、攻撃的、犯罪的な地球人はいないため、吾々も初めて地球人に公然と接触できるようになったのである。

こうした淘汰を乗り切るため、即ち優良惑星人と現生地求人のギャップを埋めるために必要なものは一言で言えば

『気付き』

以外の何ものでもない。

ある者はこれを
「悟り」と呼び、

ある者はこれを
「覚醒」と呼び、

ある者はこれを
「成長」と呼び、

またある者はこれを
「解脱」と呼んだりする。

気づき方は各人各様であるが、単に気付けといわれてもどこへ向かって行けばよいのか方向性を見失うと

「気付き」

「ただの言葉遊びに終始」

「哲学の森に迷い込む」
ことになる。


そうならないために
シルバーバーチャンは、概念的に進むべき方向性を示す一助となればと考え、「強制力」が発動する前に、今後このシリーズでシルバーバーチャル星人の生活を参考として記述しようとしているのである。

ここに登場するシルバーバーチャル星はその名の通り、バーチャル(仮想)の星だが、実在する数多(あまた)の優良惑星人の生活も、他の島宇宙(銀河)においてさえも、大なり小なりこのようである。

そこへ向かうための
「気付き」とは何も難しい事を言っているのではない。
シルバーバーチャンの過去の記事を参照すれば腑に落ちるはずである。

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(以下過去ログ
庭改造計画第一期終了より抜粋)

大事なのは
目覚め、覚醒、悟りだ。

悟りなどというと大袈裟に聞こえるが、悟りとは日常生活のそこかしこに転がっているものであろう。

正確には
「悟るチャンス」と言うべきか。

悟りとは、なにも深山幽谷に篭もり、座禅を組み、時に滝に打たれて、心頭滅却
・・・・など、特殊な人が特殊な場所で特殊な事を特殊な方法でやらねば得られないというものではない。

霊性の向上こそが生命進化の目的で且つかように特殊な事をしなければ悟れないというなら、特殊な事など一切しない大方の人類は生きている意味などなくなってしまう。

特殊な事が特殊な場所で特殊な方法でできるチャンスが与えられた特殊な人だけが悟ってよいなどというように宇宙が構成され、仕組まれているはずもない。

悟りとは日常生活で、揉んで揉まれて喘ぐ中、視野を広く持ち、自ら得たものだけがその者の財産となりうる「気付き」以外の何ものでもない。

タバコにしろ肉食にしろ、その弊害、その矛盾を知識として蓄えるのはたやすい事だが、

それは気付きであろうか?

知っただけのことであろう。


感動的動物映画の後に、肉を頬張り笑顔で感動の余韻に浸り、その感動を熱く語る自分の姿、レストランの窓ガラスに映ったその自分の姿を見て、その矛盾に自ら気付く事。
これは紛れも無い悟りなのだ。


悟りには程度の差は勿論ある。

まずは気付くことではないか。

気づきの深さはその後に漆塗りのように重厚になっていくものだ。

そして、悟るほどに
課題は難しくなる。

悟るほどに一見辛そうな人生を送る事もある。

世間から距離をおかれることもある。

孤高な人生である事が多いだろう。

許せざるを許していかねばならぬこともあるだろう。

これは深山幽谷で起こっている話ではない。

これ全て日常生活のそこかしこで毎日のように起こっている事象なのだ。

悟るチャンスは腐るほどあるではないか!

深山幽谷に篭もって得られる特殊な能力は悟るに絶対必要な要素ではない。

それらは霊性に比例しない。

むしろ特殊能力を悟りと勘違いし、おごり高ぶり天狗になって、その霊性を却って卑しめている者も散見される。

そして局の視聴率稼ぎに利用される「超能力者」「霊能者」

麗しい霊性からもたらされる能力もあれば、霊性が低くとも「背後」の邪な力に通じた能力もある。

世に奇跡を起こして大衆の瞠目を集める者の背後は往々にして霊性低く邪(よこしま)だ。

霊性の高い者の背後は高級霊に属する存在で、その語る内容は大衆を気づきへと導く厳しくも愛念のあるものだ。

決して欲を煽る甘言ではない。

願い事もかなえないし、ご利益も与えない。

大伽藍や大聖堂を建立しろともいわない。

見返りを求めない。

そして、静かに気づきへと導くものだ。

そして、悟るほどに人はその姿勢が低くなる。

『実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな』

・・・【後略】

そして、
「足るを知る」もまた気付きの一つであり、実践である。


▼(以下過去ログ
実験(一応)終了:「飽食の時代に立ち向かう実験」より抜粋)

・・・【前略】
飽食に踊った美食家はこの限りではなかろう。
老廃物のオンパレードのような鈍重な代謝を抱えた身体は、
「余計な物」を欲しがるものである。

粗食・素食には身体が耐えられず、その前に精神的忍耐がそもそもついては行けまい。

豚には申し訳ないが
「太った豚より、痩せたソクラテス」である。

生きるために食うより
食うために生きる輩が多過ぎないか?


日本!

いつから貪り眠る国民となったか?

日本人!


生物(肉体)はその進化の歴史上、飢餓に耐えうる身体の仕組みを作ってきたが、飽食、栄養過多に抗する仕組みを持ち合わせてはいないのである。

原因の直接間接、遠近を問わず、食のあり方が元で引き起こされる病は枚挙に暇がない。

生物(肉体)はその食したものから再合成、再生産された集合体に他ならないのだから、過剰、余計なものは過剰、余計な結果となって身体に現れて然るべきである。

まさに「体現」であり、「医食同源」である。

食欲を欲しいままにしておきながら、その一方でダイエット、ダイエットと踊る騒々しさには閉口する。

子供を産んだら太ったなどとはシルバーバーチャンからすれば言い訳である。

子供を産んだら太るように生物は進化したとでも言うのであろうか?

食糧事情の悪い国々では、子供を産んでも誰も太らない。

要するに
「食べたいだけ食べた報い」ではないのかと言いたい。

『そんなことはない!これでもタエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ食べないようにしているのよ!』

とまたまた騒がしいことこの上ない。

要するに、食欲に対する満足をどこで線引きしているかである。

「これで満足。
ご馳走様。」


という状態は、ある人にとっては
空腹でない状態
をいい、

またある人にとっては文字通り
腹イッパイの状態をいう。

前者は
霊主体従
「足るを知る人」であり、

後者は
体主霊従
「無頓着にして貪欲なる人」である。


この足るを知る心は、その人個人の身体をまず救済するであろう。

そして遂には地球人類は勿論の事、生きとし生ける物とその生息環境全てを救うことに繋がるのである。

足るを知る心有れば、

必要以上の生産による環境破壊も止まり、

エネルギー消費も緩やかとなり

、惑星に生息する生物を絶滅に追い込むなどという蛮行も息を潜め、生態系のバランスも壊れることなく、

足るを知る心有れば、
必要以上を欲しがらないため、譲り合いが生まれ、

相互不信が転じて互助精神が培われ、

ひいては国益の争奪戦をも制動するに至る


であろう。


何故なら、個人の
「体型救済」に始まり、地域社会も、国家も、地球生物も、地球環境も、それらの救済実現に共通する切り札は
「足るを知る」心だからである。

「空腹ではない状態」を満腹として感謝できる日常の小さな「意識改革」
・身近な
「足るを知る」心が世界を動かすのである。

反対にどこまでも

食いたい、食いたい、もっと食いたい・欲しい、欲しい、もっと欲しいという貪欲な心


が個人の体型を見るも無残に破壊するのみならず、同時に惑星破壊に繋がっている事にも憂慮を広げてほしいものである。

・・・【後略】

シルバーバーチャル星人はその社会・惑星全体が理念、愛念共に既に優良惑星人の域にあるため、相互不信など起こり得ようはずがない。

地球は未開の星でもないが、善良・優良惑星のカテゴリーにはまだ属していない。

地球人類は未だ両の手に我と欲をしっかりと握り締めて離さず、相互不信と利己的人生を送るものが
9割以上である。

そうであるから不良惑星人として地球上で

・不幸の絶えることなく、

・人生の目的も解らず、

・目先の利とささやかな享楽と生活の糧を得る
ことに埋没し、

・人生の目的を経済的成功

・家族の形成

物の所有にすり替え、

・馬齢を重ねて老いて、または事故で、または病で、または自ら死にゆき、生まれ変わり死に変わりし続け
業(カルマ)の一部崩壊と新たな業(カルマ)を積む事を繰り返し、中々に不良惑星人と優良惑星人とのギャップ・壁を越えられずに今日に至っている。


他の島宇宙、他の星系の不良惑星人もその程度に差はあるものの、おおよそ地球人と似たり寄ったりである。

国家を形成し、支配と被支配が必ず存在し、どの不良惑星にも貨幣経済かそれに似たシステムが存在する。

相互信頼に憬(あこが)れ、平和を望みながら、心の奥底には互いに不信感を持ち、平和へと導く真の道も方法も知らず、法律や戒律で規制するなどして何とか渡り合いながら騙し騙しの「均衡」を平和とするしかなく、喜怒哀楽激しく、他の惑星から互いに孤立して独自の惑星文明を築いている事が多く、その多くが不徳の文明であり、順風の吹くときは驕(おご)り高ぶり、逆風の吹くときは荒(すさ)む事甚(はなは)だしく、戦争闘争紛争の絶え間がない。

が、不良惑星の中でも、地球は不良惑星から優良惑星へと飛躍する目前の惑星であるため、地球惑星史上、類を見ない既述の
「外力」が未曾有の一大天譴として最も強く働く域帯にあることをここにまず告げ置くものである。

正しくは
「強制力」でも
「外力」でもなく、
地球人自らが招く結果なのだが、ここでは
「想念の作用」を詳述していないのでいったん「強制力」「外力」と表現し、あたかも外からきたもので、人類には責任のない事象のように扱っている。

実際は人類に原因があるという事をいずれの機会にかあらためて詳述する。

次回のシリーズ第2回からはいよいよ「お知らせ」通り、シルバーバーチャル星人の生活を地球惑星、社会、システムとの対比において綴って行く。

本日これまで。



おまけ記事 (1)

優良惑星人が地球人類の前に大挙して姿を現す日は遠くない。

地球という同一惑星上ですら、数世紀前までは新たな異人種と遭遇して腰を抜かしたように。

それを目の当たりにできる地球人は現在の総人口に比して多くはない。

気付きを自ら得ようとしなかった多くは一大天譴の時、その肉体を潰して後、優良惑星に昇格した地球には従来のように再転生出来なくなっているため、一部は未開の星に、一部は現地球同等かやや劣る、やや勝る程度の不良惑星に転生して、その惑星人として人生を過ごすことになる。

その惑星人らしい名を名乗り、その惑星人の両親のもと、その不良惑星人なりの青春や恋を語る庶民的暮らしの一方、結局は庶民の集合体である惑星自体は相変わらず戦争紛争闘争の生存競争社会において相互不信を基底にし、貨幣経済様システムを築き、惑星人はその枠組みに縛られ、支配され、病と不幸に苛(さいな)まれながら、知的生命体などこの星以外には存在しないと智を閉ざし、天災地変に煩わされて、飽食と貧困、支配と被支配、無知蒙昧、人口爆発、環境破壊、そしてまた戦争紛争闘争のスパイラルダウン循環へと落ちていく事になる。

その頃、遠く離れた新生地球(遠い過去、自分の精神体が肉体をまとって存在した星)の知的生命体が、何とか智を啓(ひら)こうと、着かず離れずして接触した時には、その愛念も理解できず、お粗末な軍事力で挑戦する事だろう。

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おまけ記事 (2)

(「プリズム・オブ・リラ」リサ・ロイヤル、キース・プリースト共著 初版 話が飛びすぎて分かりにくいかも知れませんが・・。)

プレアデス星人と地球人のルーツは琴座星人である。

地球人として宇宙歴に登場するのはずっと後の話だが、太古、琴座系の一派で父性原理を信条の一つにした琴座系ベガ星人は、母性原理を行動規範の一つとしている琴座星人とは対局をなす種族へと発展し、太古この2種族には争いが絶えなかった。

琴座星人は他にもシリウスに入植している。

シリウスは地球では「犬座」として知られて、地球古代の各神話の随所に登場する。

〔例えばシリウスに入った元琴座系ベガ星人と袂を分かった分派との間で起こった闘争がシリウス全体を巻き込んだ紛争へと発展する緊張状態を招いた時、これに「シリウスの長老」たちが介入し、紛争のステージをオリオンに移し、ここで二者の相克を解決しようと試みたことが、「犬」(犬座:シリウスの長老)が「狩人」(狩人の星:オリオン)を導いたとして、地球の神話に登場する。

こうした彼らの紆余曲折の軌跡は、地球にもその片鱗が(すでに比喩的になってしまっているが)神話の随所に散見されるのである。〕

このシリウスには肉体を持たない生命体も含め、多様な意識形態が存在している。

地球ではエジプト文明にその足跡を濃く残している。

更に地球はオリオン星人の影響も多分に受けることになった。

オリオンは琴座、
ベガ星人、
シリウスの子孫であり、
いずれ述べることになるが地球と良し悪しは別として密接な関連がある。

ここではオリオンは激しい「戦場」であったとだけ言っておく。

また、琴座星人はプレアデス星団にも入植しており、日本では昴(すばる)と呼ばれ、昔から文人にも愛でられた星々である。

プレアデス星人は地球人ともっとも遺伝的に強いつながりを持っている。

また、地球に関与する「有名」な惑星人にゼータレチクル星人がいる。


「宇宙人による人間誘拐」(アブダクション)はこの惑星人によって引き起こされている。

地球ではグレータイプと呼ばれ、異様に大きな目といぶし銀の皮膚に身体とのバランスを欠いた大きな頭蓋が特徴であり、琴座から派生した他の惑星人とは「ある事情」とその後の進化で異形の惑星人となった。

彼らの名誉のために少しだけ言及するが彼らは
「ある事情」から琴座の遺伝子ほか様々な惑星人の遺伝子サンプルを保持している地球人の遺伝情報が必要なだけなのだ。

「ある事情」によりゼータレチクル星人は種の存亡の危機に面していて、地球人の遺伝情報を欲しており、敵意は実はまったくない。

その証拠に
「誘拐」ではなく
「一時拘束」により、遺伝子サンプルを採取するのみで、現実地球人の殺害や誘拐はしていない。

一時拘束した地球人は元の場所に帰されている。

「ある事情」はいずれ詳述する。

なぜなら彼らが犯した過ちを地球人類が繰り返さないためにも彼らの歴史と現状を理解することは大変重要であるからだ。

THE PRISM OF LYRA 訳:保科一美(復刊版では星名一美に変更)

ちなみにこのシリーズに登場するシルバーバーチャル星人はバーチャル(仮想)の惑星人だが、そのモデルをプレアデス星人としている。遺伝的にも近く、見た目もほとんど地球人類と変わらないプレアデス星人は地球人に対して非常に深い愛情を持っているためである。

また、蛇足だがこのシリーズに登場するシルバーバーチャル星人であるシルバーバーチャンは地球人の身体に入り込んだシルバーバーチャル星人の精神体という設定になっている。


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