スピリチュアルとベジタリアンの世界へシルバーバーチャンがあなたをいざないます。ちょっと辛口ですんでお怪我などなさらないよう、包帯をご用意下さいませ。

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ベジ&スピリチュアル雑記帳
喫煙と肉食「目覚め」れば簡単にヤメられる

タバコも肉もやめられない・・・両者に共通する洗脳

 禁煙を難しくしているのは禁断症状なんかじゃない。
禁断症状なんてあったとしてもわずか3日。
禁煙を難しくしているのは、
タバコなしでどうやって喫茶店にいくの?

どうやってコンパするの?

どうやって仕事のストレスを紛らわすの?

どうやって暇を潰すの?

信号待ちのときは?

・・・『悲しい時は?』『嬉しい時は?』『怒れる時は?』『楽しい時は?』

・・・・要するに
『どうやって生きていくの?』

という不安なのだ。

そう、タバコなしでは生きていけないとう洗脳だ。

自分はタバコを吸いながら自分の子供には吸っちゃダメだという矛盾。
解っちゃいるけどやめられないのはこの「洗脳」のためだ。


だが、勝手に洗脳されるわけじゃない。
誰かが洗脳したのだ。
何故吸い始めたのか?

かっこよく吸っている大人、
先輩、映画俳優のせい?

 確かにそれもそうだが、

口から煙を出している姿をカッコイイと思う背景・下地

がなければ、周囲の大人であれ、先輩であれ、
映画俳優であれ、
鼻や口から煙を吐いている姿を見たら「アホちゃいますの?」と思うに違いない。

煙を吐く姿を格好いいと思わせ続ける誰かがいる!・・・
業界だ!年間何千億もの巨費を投じて宣伝する業界なのだ。

 そして洗脳された者は洗脳に気付かない
これが洗脳

 タバコを吸っていても100歳まで生きたという「どこのだれとも知らない老人の話」を持ち出して、タバコを吸っても健康な人は健康だよなどと言い、医学的統計データとしてハッキリしているタバコによる死亡者数、疾患者数、タバコのデメリットには目を瞑る。
なぜだ?

やめたいといいながらやめたくない自分がいる。

やめたくない自分の正体とは
やめられないかも知れないミジメな自分を見たくない
我慢しつづけなければならない苦しくミジメな自分を直視できないという不安や恐怖なのだ。

そしてそんなミジメな自分より、
いつかやめようと思いながら、タバコを吸いつづける自分を選択する。

そして、無意識には「タバコは俺にとって必要なものなんだ。」
意識されずに、その人の顕在意識、潜在意識に確実に擦りこまれていく。
洗脳とは洗脳されたことが本人に認識できないことが多い。)

肉食
肉食もこれと同じではないか?
肉食『たんぱく質は肉で摂る』
『肉を食べなきゃ力が出ない』
『肉を食べないと栄養が偏る』
『バランスよく何でも食べなきゃいけない』
『植物性タンパクだけじゃダメ』
『肉を食べなきゃ何を食べるの?』

・・・・このような≪迷信≫を覆す理知的かつ医学的データをいくら提供しようとも頑として受け付けない。
替わりに返ってくるのは、苦し紛れの強弁かベジタリアンに対する攻撃的(かつ感情的)発言だけなのだ。

洗脳とその上に助長された欲望の前に理性も医学も人道も太刀打ちできないのだ。

「解るよ、よくわかる。」といいながら
「でもね、俺は肉を食べるよ。」と付け加える。

理由は簡単・・・不安欲望だ。

「肉を食べなきゃ・・・」「食いたい!」、この2つなのだ。

解っちゃいるけどやめられないのだ。

そもそも本当に肉は旨いのか?
生で味付けせずに食べたらどうだ?
単に「タレ」が旨いだけじゃないのか?

 誰が洗脳したのか?

これまたそれを生業とする業界だろう。
その業界に洗脳された親が、先生が、知人が、マスコミが、栄養学者が次の世代を洗脳していく。
こうして、地球社会では生まれて、離乳すると同時に、何らかの形で「死体」を食べさせられるようになっている。

ベイブ この洗脳ゆえに、
「動物を扱った感動的映画」に感動し涙したその帰路、立ち寄った店で血の滴るステーキを頬張り、舌鼓を打っていても、そこに矛盾を感じない。

その死体を転がした同じ舌が動物の感動秘話を熱く語り合うのだ。

 無知の栄養概念、錯覚の美味、洗脳のバランス論、演出された高級感、シズル感たっぷりのTVCMからレストランのメニューの写真、はたまた国際経済、政治まで絡んでうごめく各国業界。足し算引き算でしか人間の身体の仕組みをはかれないたかが現代栄養学がその後押しをする。

 業界の巨費を投じた、一見アカデミックにさえ見える謀略の前に、不学の大衆などイチコロなのだ。この洗脳から目を覚まさない限り、「解っちゃいるけど」はいつまでも続く事になる。
「解っちゃいるけどやめられない」程度なら、目覚めればいつか「死体の分子分解処理機」としての人生から卒業できる可能性はあるが、中にはやめる気すらない者も少なからず存在している。

 そうした意味ではタバコのほうがまだやめやすいのかもしれない。
「健康に悪い」というのは今では誰も疑わない事実だからだ。
一方、肉食に関しては、相変わらず「健康のため少しは食べなければダメだ」と思い込んでいる者の数は、真実を知りこれを実践する者より圧倒的に多い。

 大事なのは目覚め覚醒悟りだ。
悟りなどというと大袈裟に聞こえるが、悟りとは日常生活のそこかしこに転がっているものであろう。正確には「悟るチャンス」と言うべきか。
悟りとは、なにも深山幽谷に篭もり、座禅を組み、時に滝に打たれて、心頭滅却・・・・など、特殊な人が特殊な場所で特殊な事を特殊な方法でやらねば得られないというものではない。

 霊性の向上こそが生命進化の目的で且つかように特殊な事をしなければ悟れないというなら、特殊な事など一切しない大方の人類は生きている意味などなくなってしまう。
特殊な事が特殊な場所で特殊な方法でできるチャンスが与えられた特殊な人だけが悟ってよいなどというように宇宙が構成され、仕組まれているはずもない。

 悟りとは日常生活で、揉んで揉まれて喘ぐ中、視野を広く持ち、自ら得たものだけがその者の財産となりうる「気付き」以外の何ものでもない。

タバコにしろ肉食にしろ、その弊害、その矛盾を知識として蓄えるのはたやすい事だが、それは気付きであろうか?
知っただけのことであろう。

 感動的動物映画の後に、肉を頬張り笑顔で感動の余韻に浸り、その感動を熱く語る自分の姿、レストランの窓ガラスに映ったその自分の姿を見て、その矛盾に自ら気付く事。
これは紛れも無い悟りなのだ。ひらめき

悟りには程度の差は勿論ある。
まずは気付くことではないか。
気づきの深さはその後に漆塗りのように重厚になっていくものだ。

 そして、悟るほどに課題は難しくなる。
悟るほどに一見辛そうな人生を送る事もある。
世間から距離をおかれることもある。
孤高な人生である事が多いだろう。
許せざるを許していかねばならぬこともあるだろう。
これは深山幽谷で起こっている話ではない。
これ全て日常生活のそこかしこで毎日のように起こっている事象なのだ。
悟るチャンスは腐るほどあるではないか!

 深山幽谷に篭もって得られる特殊な能力は悟るに絶対必要な要素ではない。それらは霊性に比例しない。
むしろ特殊能力を悟りと勘違いし、おごり高ぶり天狗になって、その霊性を却って卑しめている者も散見される。
そして局の視聴率稼ぎに利用される「超能力者」「霊能者」。
麗しい霊性からもたらされる能力もあれば、霊性が低くとも「背後」の邪な力に通じた能力もある。
世に奇跡を起こして大衆の瞠目を集める者の背後は往々にして霊性低く邪だ。
霊性の高い者の背後は高級霊に属する存在で、その語る内容は大衆を気づきへと導く厳しくも愛念のあるものだ。決して欲を煽る甘言ではない。
願い事もかなえないし、ご利益も与えない。
大伽藍や大聖堂を建立しろともいわない。見返りを求めない。
そして、静かに気づきへと導くものだ。

 そして、悟るほどに人はその姿勢が低くなる。

 『実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな』

タバコ、肉食・・共通するのは洗脳と洗脳により肥大した欲望に理念が眠る乾いた日々

禁煙、ベジタリアン・・
共通するのは気付きと霊性の向上する喜びが静かに沸き起こる日々
「人間本来の姿」・・口にタバコを咥えて生まれてくる人間はいない。
他の動物を襲って仕留めるための鋭い爪や牙の生えた人間はいない。


そんな構図が見える。

 シルバーバーチャンは今日も日常生活を営む。




雑記帳
猫と「話す」?


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