スピリチュアルとベジタリアンの世界へシルバーバーチャンがあなたをいざないます。ちょっと辛口ですんでお怪我などなさらないよう、包帯をご用意下さいませ。
*
info_page
シリーズ第11回
『人類の特権と重責』
 
動物の進化と人類の想念波動

 人類の想念波動が惑星の命運を握っていることは、このシリーズの一貫したテーマである。今回は、人類の発する想念波動が実は
「人類以外の生命体の進化をも左右する」ということを、
想念作用の別の側面として追記したい。

 先ずは、ハート出版から出ていた
ペットが死ぬとき―誰も教えなかった別れの意味
(シルビアバーバネル著、近藤千雄訳・編)から、
今回の記事内容を傍証する部分を引用させていただく。


同書は「ペットは死後も生きている」を改題した重版である。
同書の「古代霊シルバーバーチに聞く」と題した質疑応答の中で、
質問者とシルバーバーチの回答に、他の生命の進化に人類の想念が
いかに影響を与えるかが記述されている。


ペットが死ぬとき-誰も教えなかった別れの意味質問者
動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は
肉食や動物実験をしてはいけないのでしょうか。

シルバーバーチ
それが人間の進化の指標だからです。
人間が進化すればするほど地上からの残忍性と野蛮性が消えていきます。
愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎったとき、
動物の残忍性も消えて、それこそライオンと羊が仲良く寄り添うようになります。

質問者
しかし、動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか。

シルバーバーチ
あなたもかつては動物だったのですよ。
それがここまで進化してきた。
だからこそ太古に比べれば動物界でもずいぶん残忍性が減ってきているのです。
トカゲ類で絶滅したものもいます。
なぜ絶滅したと思いますか。
人間が進化したからです。


 実にサラッと話しているが、ここには重大な内容が凝縮されているのである。
 現象界の全ては潜象界の波動が支持して存在することを知らない者にとっては、上の質疑応答の内容は頓珍漢で質問と回答が噛み合っていないように思われるであろう。

 唯物文明にすっかり毒されてしまった者、または高まる地球の波動にすでに乗り遅れつつある唯物主義者の反応は例えば次のようである。

 「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は肉食や動物実験をしてはいけないのでしょうか」という質問に対する「それが人間の進化の指標だからです。」というシルバーバーチの回答にはこう反応する。『なんでそれが人間の進化の指標なんだ?勝手に指標にするなよ。』と。

 「人間が進化すればするほど地上からの残忍性と野蛮性が消えていきます。」には『人間の進化で人間の残忍性や野蛮性が消えるのはそりゃ当然だろう。それが動物の残忍性と野蛮性と何の関係があるんだよ。動物は動物ぢゃねーか。』と反応する。

 「しかし、動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか。」という質問に対する「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に比べれば動物界でもずいぶん残忍性が減ってきているのです。トカゲ類で絶滅したものもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです。」というシルバーバーチの回答にはこう反応する。

 『まったくもってナンセンス!
人間が進化したから太古と比較して動物達の残忍性が減り、トカゲ類が絶滅して・・
はぁあぁ?
・・なぜ絶滅したと思いますかぁ?
・・人間が進化したからですだとぉ?
何だって?人間が進化するとトカゲが絶滅すんのかよ!
どういう関係があんだよ!

じゃあ、俺が英語話せるようになったら、人工衛星が墜落すんのかよ!
俺がミリオネアになったらカラスが絶滅すんのかよ!
関係ねーだろっ!ワケ解んねーこと言ってんぢゃねーよっ!』


である。

では、そのワケを解ってもらおう。次の通りである。

 想念波動は人間個々人や人類という限られた範囲で作用するものではなく、想念作用に触れたこのシリーズの第2回3回では、自然環境をも左右し、悪くは業想念崩壊で天災地変をより過酷な大難にする旨も述べた。
良くは人類のみならず、動物という他の種族の進化を促進することにも繋がっているのである。
宇宙は先ず波動ありきであり、人類の想念波動もまたそれに準ずる。
即ち人類の想念波動の在り方によっては、創造された宇宙を更に進化・推進する力を持ち、その力に責任を伴っているということである。
人間の本来の存在意義は全宇宙の進化を推進する神の地上代行者(分け御魂)であることにある。

人類は人類の住む惑星とその惑星上に生息するあらゆる種の進化に対して特殊な使命を帯びている特別な存在なのだと理解されよう。

 特別な存在は特権を持つと同時に重い責任を背負うものである。
責任を取る時はその身をもって為されるもので、言葉だけで責任、責任と言っていればよいものではない。

 シリーズ第10回で記したように、愛・愛と言葉を弄び、悪想念の制御等想念作用を蔑ろにしてきた結果、不徳の文明を築き、崩壊の淵に立たされてきたように、物理行動的および想念的実体の伴わない奇麗に化粧された言葉には意味はないばかりか、事実を隠蔽して却って宜しくないことになるのである。

 特権の使用方法を誤れば、自らの身をもって償う。
本来はその特権を正しく駆使するため、人類に与えられた知性であり、理性であり、技術発明・発見であり、文明でなければならないのに、宇宙間の人類の中でも不良惑星人は自分中心で利己心に満ち満ちて「進化」を続けてしまった結果、どん詰まりの袋小路に自らを追い込んでしまったのである。
 間違った方向への「進化」は矯正せねばならない。一大天譴という一見「悪」に映る大破壊を通じ、反省を経て正しい進化の大道へと矯正するのである。

 大所高所から見れば不良惑星人というステージも正しい進化過程で通過せねばならない学習段階ではある。そして時機到来した今、いつまでも不良惑星人としてのステージで足踏みをしていてはならないのも事実である。
迫るアセンションという千載一遇の機会を逃すことなく、一人でも多く優良惑星人として新たな一歩を踏み出してもらいたい。

 さて、この人類の「特権」を「使用上の注意を守って正しくお使いになって」いる存在こそが優良惑星人なのである。
優良惑星にはその精神波動を反映して肉食の嗜好はない。
このことに例外はなく、あればそれは優良惑星ではない。
優良惑星への昇格条件の一つは肉食の放擲(ほうてき:投げ捨てること、うち捨てること)だからである。

 地球は法則どおり、惑星の波動上昇により、現象面では一大天譴とアセンションを通じて優良惑星へと昇格することが決定しているため、肉食人種は不要の存在となる。
嘗て恐竜が波動上昇していく地球惑星上では、次第に不要な「型」として滅んだように、肉食人種も優良惑星へと昇格する地球では不要な旧型となるため、
「廃棄処分」する必要がある。
その肉体を失って別の肉体に生まれ変わるより他はない。

 ただ、恐竜の時代、恐竜たちの転生先は同じ地球環境内において、新種の生物として進化した哺乳類などであったが、優良惑星へと昇格する地球に肉食人種が転生することはこの先ありえないため、どこか別の不良惑星ないし原始星が最適な転生先となる。

 シリーズ第8回『現存地球惑星人の来歴』で述べた、嘗て優良惑星からこの不良惑星へ優良惑星不適格者として降ろされた時のように、また、この「地球大学」での課題をこなし切れず落第していくわけである。
まあ、それはそれで内包する精神波動に合致しているため、他の不良惑星や原始星が相応しい転生環境なのであり、優良惑星へと昇格した新生地球に転生するようなことがあれば、それはその魂にとって却って「地獄」である。

 不良惑星人は、与えられたその知性や発明・発見や技術、延(ひ)いてはその文明における「特権」の意味を履き違え、「万物の霊長」として思い上がって、何をしても許されるとばかりにこの惑星をズタズタにしてきた。そのつもりはなくとも、想念波動の作用を知らず、一方で口に愛だの平和だの慈悲だのと唱えながら、他方で我欲の充足を優先し、悪想念をほしいままにしてきた。また、動物を殺してその死体を食料とすることで、不自然にその生存を否定される動物等の悲哀と憤怒の念が業想念層をさらに汚濁することも知らず、死体を貪り食う卑しき習慣を「豊かな食文化」などと称してその蛮行を覆い隠し、高級ぶった低級さを遺憾なく発揮してきた。数え切れぬ動物たちの惨殺という犠牲の上に。

 特権とは特別な権利であるだけに、特権の誤用に対する責任は格別重い。
すなわち同じ生命の同朋である動物たちを殺して食すことを目的に肥育して、有無も言わせず惨殺し、動物達の恐怖と悲哀と憤怒(ふんぬ)と怨恨の想念を業想念に蓄積し続けた「特権の誤用」により、地球惑星波動の上昇との歪みを大いに生じ、一大天譴という徹底した大掃除による自滅で責任をとるのである。
特権の誤用かつ乱用により自ら招いた人類史上最大の惨劇である。
少なくともこの時点で、自ら好んで死肉を摂る者またそれを勧める者は淘汰されることになる。新生地球に居てはならない「古い型」「恐竜」だからである。

 (ついさっきまで肉を好んで食べていた者が、古い型の淘汰と聞いて驚き、突然菜食になったとする。これでは宗教と同じ「戒律」による脅しとそれにより引き起こされた「我れ善しの欲」である。本来ならば、その者が同朋である動物の進化に対する特権と重責をもった人類であるという自覚のもと、他の生命を脅かして己の欲望のために他の生命進化の機会を奪う肉食を放擲するのが利他愛であり望ましい姿である。敢えて厳しいことを言えば、己が助かりたいが為、あるいは己の健康の為という動機のみで菜食に転向するのは利己である。しかし、動機としては望ましくはないが、行為としては結果的に正しい位置に立っている

生命の同朋である動物たちをいかなる理由でも殺さない愛を実現するため、一人、二人、百人、千人、万人と肉食主義者が「投降」すればそれだけ食肉の需要は減り、結果として同朋が惨殺される悲劇は減っていくから、たとえ動機が利己であっても今のところは善しとすべきであろう。しかし、この利己による肉食放棄は、「旧型の淘汰」や「不健康」、すなわち所詮「脅し」と「不安」による欲望の抑制であるため、脅しをしばし忘れ、不安が去ったりすると「今日は久しぶりに肉でも食うか。たまには焼肉もいいじゃないか。なぁ!」とエプロンをかけてジュージューいわせてしまうのである。
 これを翻訳すると、「少しくらい体に悪いことしたってどうってことねーよ。俺の身体だし。別に動物のためにやってんじゃねーしな。今日は生命進化推進者としての特権を誤用して、仲間を殺して生命進化の機会を奪ってやるか。たまには殺しもいいじゃないか。なぁ!」となろう。

 願わくは、ベジタリアン全てが「他の生命のため」を啓き、慈悲の心から肉食を放棄し、これを世に訴えてもらいたいのである。

シルバーバーチャンが「脅し」と「不安」をちらつかせて肉食をやめさせる手法を取らないのはこのためである。(但し、初発は利己心を入口としても、菜食を続けるうちに、今は意識の底に眠っている神性が浮上して、利他心に目覚め、動物等の置かれた現状に対し涙し、人類の無明に恥じ入り、立ち上がることも多々あるため、利己心を指摘することの度が過ぎてはいけないのである。)

 最近増加傾向にあるベジタリアン同志がインターネットや出版物で肉食放擲を世に訴えることは誠に麗しい行為である。「我れ善し」の利己からはホームページの立ち上げや出版の労を執ってまで肉食放擲を世に訴える心は生まれ得ないからである。そこには同朋に対する慈愛の精神が溢れているのである。これらのベジタリアン同志の肉食主義者に対する幻滅、軽蔑、そして落胆と義憤は理解できないでもないが、決して非難、攻撃する心・想念を抱いてはならないことを重ね重ね願い上げる次第である。
 その攻撃性は肉食獣を久遠に肉食獣たらしめ、草食獣にも他の肉食主義者にも想念作用を通じて宜しからざる結果を生むだけである。ベジタリアンは「正義は我らにあり」と愛のない正義を押し付けるテロ的発想をしてはならない。
折角、動物に対する慈愛の心の持ち主でありながら、慈愛の心の弱い者やそれを持たない者に対する攻撃性という悪想念の罠にスッポリ落ちてしまうのは勿体ない事この上ない。
(参考記事:『正しい事でも争う時は既に誤り』(肉食と戦争:番外編)

人間の「特権」の正しい利用方法

シルバーバーチは「特権」の正しい利用方法を次のように語っている。
シルバーバーチ 
『長い進化の道程のどこかの時点で、神の、というよりは法則の働きによって、動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。 その段階で人間となり、人間は判断力というものを身につけたわけです。すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。
 しかし実はそうした能力は全部始めから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが神の息吹で目を醒ましたわけです。
 そうして神が動物に霊性の息吹を吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことが出来るのです。

 人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹を吹き込む事ができるはずです。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。

 その動物はその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命の全てのカギです。動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。
 また愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。
人間同士でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。
愛があればこそ生命は進化するのです。』
 想念波動の作用を理解していないと、『愛があればこそ生命は進化するのです。』のくだりを抽象的表現として素通りしてしまう恐れがある。

シルバーバーチ  『(前略)そういう利己心を棄て、弱者を食いものにするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります。』
 『いいですか。大自然全体は今なお進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如何(いかん)によって左右されており、人類が進化すればするほど、地上の暗黒地帯が減っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化はありえません。』

 『(人間は)神の一部として、宇宙の進化の推進者でもあり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも支配する自然法則に影響を及ぼします。』(ここでいう国家とは地球、世界、自分を取り巻く環境一切のこと。)

動物実験について
 『(動物の生体解剖は動機が正しければ許されるかという質問に対して)許されません。残酷な行為がどうして正当化されますか。
苦痛を与え、悶え苦しませて、何が正義ですか。
それは私どもの教えと全く相容れません。
無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです。
神の摂理に反した方法で手に入れた治療法では病気は治せません。
人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。
しかしそれは動物の実験からは発見できません。』

 『(動物は人類のために地上に送られてきたのかという質問に対して)そうです。
同時に人類も動物を助けるために来ているのです。』
(正確に言えば動物の「生命」進化を助けるためにであろう。
そして優良惑星人は不良惑星人や未開人類を助けるために活動している。)

 宇宙間では原始星や未開星に優良惑星人が入植したり、(特に地球は優良惑星不適格者の「社会復帰のための猛反省の場」であった。)未開人類や不良惑星人に接触するのは、進化促進のための特権行使の現実的行動なのである。そこに誤用や乱用はない。法則に抵触する過干渉も当然あり得ないのである。

 例えばの話であるが、ある優良惑星人の目の前で、不良惑星人が息も絶え絶えに死につつあったとしよう。それでも、それがその魂にとって肉体を脱ぎ捨てることが必要な死であれば救命してはならないと判断できるのが優良惑星人なのである。
助けるべきか死なせてやるべきか判るから、逝かせるべきなら決して手を出さない。これも愛である。不良惑星人はこの判断ができないため、どうであれ救命せねばならない。これが不良惑星人のレベルで実行できる愛である。

 話は少し逸れてしまったが、この「特権」は不良惑星人が連想するような、「他に対して優越する支配権」のことではない。宇宙進化に寄与する奉仕の精神を持つ者にとってのみ特権たり得る愛の履行権である。
 これを履き違えると地球惑星人のように人間は「万物の霊長である」などと言って思い上がり、動物を含めた弱者の犠牲の上に、我欲をますます放縦(ほうじゅう:わがまま。やりたい放題。)することになる。

 優良惑星人は自らを万物の霊長などと慢心することなく、「神の通路」「神の道具」と神の大愛を現象界に発露させる実行者として振る舞うのみである。
神の大愛を物理世界なら物理世界で、想念世界なら想念世界でそれ相応の手段を使って実現するのであり、利己、すなわち己の我欲の充足のために、その知能を現象界に反映することはないのである。

 従って、人類は「肉食動物は弱いものを殺して、その肉を食べるし、人間も動物なのだから、殺して肉を食べてもよい」と捉えるのではなく、実は肉食動物が肉を食べるのは人間の精神性を反映して進化が遅れているのであるから、肉食動物がその惑星上に存在する事、またそれらが肉を食べる様子を見て、「生命進化推進者」「進化の船頭」「神の大愛の通路」である人間は挙(こぞ)って自らの精神性の粗野、野蛮さ、未熟さを反省せねばならないのである。
 肉食獣は人類想念の反映した姿なのである。肉食獣の存在とその食餌の行為はその惑星人類の精神性進化のバロメータであったのだ。『関係ねーだろっ!ワケ解んねーこと言ってんぢゃねーよっ!』と言って肉を食すその精神性が肉食獣をいつまでも旧型として存在させてしまうのである。

 するとこう反応するかもしれない。
 『じゃあ、人間の精神性の進化は肉食獣を滅ぼして殺すってことになるぢゃねーかよっ!それって「殺し」だろうがよっ!』と。
 一面的にはそうである。恐竜が地球波動の上昇に耐え切れず旧型として滅んだように滅ぶことになるであろう。しかし、強制的にその命を絶って滅ぼすのとは異なる。

 地球波動上昇による恐竜の滅亡の場合、まず環境の変化から始まった。
生命波動による植物の変化がそれを食(は)む草食動物の変化を齎(もたら)し、草食動物の変化が肉食動物の変化を齎した。
巨体を滋養する必要がある肉食恐竜は変化について行けずに滅んだのであった。
また、波動そのものの変化で草食恐竜も卵を産まなくなったり、卵が孵化しなくなって滅んでしまった。

 波動の上昇により生物としての旧型は、その肉体が生命としての魂の進化に不適格となれば病気や事故で、また寿命を迎えたりして自然の成り行きで死に、その魂は新たな進化型生物として登場した肉体に転生機会を与えられて宿り、新たな地上生存体験を進化型生物の肉体と脳を通じて魂に刻み込み、生命として進化し続けるのである。

 この意味で、人類の精神性進化による想念波動で肉食獣が自然に死に絶えて滅ぶことは破壊ではなく進化推進の一環なのである。
その肉食獣の生命は次第に肉食傾向の少ない生物へと転生移行して、久遠の未来にどこかの未開星や不良惑星にて人類として登場し、学びを与えられるのである。
 その頃、現不良惑星人の一部も優良惑星人となって、その「特権」を駆使して一なる創造者の大愛の地上実行者として「弟妹」(ていまい)らの進化促進に奉仕・寄与して宇宙間を飛び回っていることであろう。
 言い換えると、現優良惑星人もかつては不良惑星人であった訳である。肉食は不良惑星人という段階で陥る大きな落とし穴なのである。これも自我を発達させ、我欲に目覚めてしまったことによる不幸である。これを克服して優良惑星人となると、それ以降の優良惑星人として何十万、何百万年の進化の道程に肉食はもはや登場しないのである。
 更に優良惑星人から先の進化においては低次の肉体を必要としないため、肉食どころか食そのものとは無縁の存在になっていく。
 優良惑星では動物でさえ肉食はしない。猛獣、猛禽、猛魚は疎か、毒蛇や毒虫もいない。その理由は『人間が進化したからです。』(シルバーバーチ)の一言に収斂(しゅうれん)する。やはり「想念波動ありき」である。

人類が進化すればするほど、地上の暗黒地帯が減っていくのです。
人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。』


 このシリーズを通して述べてきた
想念波動とその作用をよく理解し、人類の想念は業想念を通じて、地殻変動始め人災、天災に影響を及ぼす事を知るばかりでなく、
人類は愛しき「弟妹」である他の生命の進化促進に、本来は神の大愛の地上実現者として特権を持ち、重責を背負っていることをよく銘肝しなければならない。
 不良惑星人は肉食獣の食餌行為を
『吾等人類の想念波動まだまだ清まり足らず』
と反省の対象とせねばならないのである。

にもかかわらず、肉食獣と一緒になって肉を食べてどうするのか。
焼かれた弟妹(ていまい)の肉片が己の身体の中へ落ちて行く様(さま)に心痛まぬか。

 人類や草食獣とは異なり、肉食獣はその魂の発達段階に呼応して、本能として肉食を許されている。
その獰猛性を維持させるも、減弱させ進化させるも人類の想念波動次第なのである。
人類の精神性が進化すれば、肉食獣の残忍性は薄らぎ、遂には消え去るのである。即ち肉食獣の存在意義
人類の想念波動の清濁判定にも見出すことが出来るのである。

 猛獣、猛禽、猛魚等肉食動物は惑星の波動上昇で一大天譴とアセンションを通じて古い型として淘汰され、また一部の肉食・雑食獣はアセンション時に人類同様遺伝子変容が起こって肉食から草食へと進化することが予定されている。

 本来ならば人類の精神性進化により徐々に肉食獣が姿を消し、一大天譴なしに、緩やかにアセンションを迎えて優良惑星化することが理想であった。
 しかし、現実は地球人類の精神性進化は遅々として進まず、その一側面としての肉食も含めて業想念帯の浄化は疎(おろ)か業想念帯への悪想念の更なる蓄積は進んでいる。
 こうして肉食獣の緩やかな滅びと転生、即ち進化を実現させ得ず、一大天譴という形で彼等を巻き添えにして一気に絶命させる事になる。これこそ彼らに対する慈悲なき殺しであろう。


ベジタリアンに対する非難の声
 殺しといえば、シルバーバーチャンと交流のあるビーガンベジタリアンがこんなメールをくれた。ベジタリアンを非難する書き込みのコピーであった。

 「お前らベジタリアンは、屠殺業や精肉業、乳製品を扱う業者、毛皮、革製品を扱う業者の職を奪おうとしている。
畜産業者は失業して中には当然自殺する人も出てくる。
お前らのやっていることは人殺しだ。」


と非難を受け、どうして次から次へとこうした意味のない非難をする人が後を絶たないのかと胸を痛めていた。

 このベジタリアンに対してシルバーバーチャンはこう答えた。
確かに全人類が菜食になれば、畜産業者は不要な職業ですから廃業になるしかありません。
自動車、電車が発明されて、飛脚や籠かきが居なくなったように・・。
また一斉に皆がベジになるわけではありません。
なったとしても徐々に、徐々にです。
明日から畜産業が全廃になるわけではありません。
徐々に職業の転換が図られていきます。

 それに畜産業がなくなるからといってどうして自殺するのでしょうか?
牛や豚を殺すことしか能がないわけでもあるまいに。
別の仕事を探しなさい。
日々是屠殺に励み、何千万の命を奪うという直接殺生をしたのですから、そのぐらいの事は当たり前です。
それとも牛や豚の命を軽く見たのと同じように、己の命も軽く見ているのでしょうか?
それで牛や豚を引き裂いて殺した機械に自分を掛けて引き裂き自殺でもするというのでしょうか?

 世界は時代の流れに合わせて変化して当然です。
刀鍛冶が今の世にどこかの商店街に軒を連ねて営業していますか?
ちょんまげを結った侍がどこかの住宅街に住んでいますか?
刀鍛冶も侍も籠かきも飛脚も皆、自殺したのでしょうか?
電車や自動車を発明した先達は皆殺人者なのでしょうか。
毎日通勤・通学にそれらを利用している人々は殺人行為の恩恵を享受しているのでしょうか?
違いますね。変化は徐々に起こり、人々もそれに合わせて次第に変わっていくのです。

 あなたを非難したその人は、肉を食べるという自分の欲望を正当化するために、
畜産業者を盾にして、
彼等の失業=彼等の自殺
と短絡させて自分だけの正義を補強しているに過ぎません。

 あなたを非難するこの方がこうして怒るのは、本人が認識できない意識下では
「肉食は人間として恥ずべき下卑た低級行為」と解っているからこそ、死肉に群がる自分を賤しく思って惨めになり、一方、無意識から湧き上がる惨めさを打ち消そうと自意識が働き、
意識上では反動的にその行為を正当化しようと口角泡を飛ばしてあなたを非難するのです。
この方自身にも意識できない罪悪感と劣等感の補償行為なのです。

 しかも畜産業者の自殺を引っ張り出して、彼等を擁護する正義の人であるかの如く振る舞い、他人の陰に隠れてあなたを非難するところに小物の器が露呈しています。
本当に肉食に対して鈍感な人は、あなたが何を言おうと非難された気にはならないため、この方のようにあなたを非難しません。
つまり、この方にも肉食に対して意識の奥の奥では良心の呵責があるということなのです。
お気の毒な方ですから、せめてあなたはこの方を許してやってはいかがでしょうか。

 ≪せめてあなたは許してやってはいかが≫
と何故シルバーバーチャンが言ったのか。

それがこのベジタリアンの方の許しという愛の学習であることもさることながら、この非難した方の末路をシルバーバーチャンは脳裏に見て取ったためである。
(そもそもこのベジタリアンの方は、非難した方を責めてはいない。ただ悲しい思いで一杯になったのであった。)

 その末路を描写するのはおぞましいので、以下に本稿の冒頭で紹介した
「ペットが死ぬとき・・誰も教えなかった別れの意味」の著者、
シルビア・バーバネルの言葉で代弁させていただくことにする。

 『道徳的に間違っていることが本当の科学の世界で正当化されるということは、絶対にありえません。
人間がこうした身勝手な理屈をでっち上げる原因はいろいろと考えられますが、最大の原因と思われるのは、物的身体という、存在として最も次元の低い媒体に包まれて、その波動から抜け出るのが容易でないということではないでしょうか。
 ですから、いわゆる死という過程を経て物的身体から解放されると、感覚が鋭敏となり理解力が深まって、地上時代の行為の間違いが強烈に意識されるようになります。そこから良心の呵責が始まり、魂の煩悶(はんもん)に苦しむことになります。
それがいわゆる「地獄」なのです。

 「たった一度の、しかもこの程度の非難」で良心の呵責に苦しみつづけると言うのは理不尽である。が、一事が万事である。この者は≪悪のキ≫(=我と欲)を堅持して、何かの切っ掛けさえあればいつでも「戦闘開始」し、他を非難し裁く心根を持しているのである。

 日月神示でいうところの≪悪のキ断ちて下されよ。≫である。
日々の暮らしの中に散りばめられた出来事を通じて起こる悪想念ではあるが、この悪想念の制御訓練を一瞬一瞬怠りなく自分の心の動きを監察し続け、気付き、許し、悟り行き、大器の人になって行くことによってしか、≪悪のキ≫(=我と欲)を断つことはできないのである。
日々の暮らしの中に起こる「悪」はそのためにどうしても必要なのである。・・・

≪悪は悪ならず。悪憎むが悪ぢゃ≫

悪のキ(=我欲)あるが故に「悪」が映るのである。
日々の暮らしこそが修行であとする所以である。
日々の暮らしが自分発見と反省と進化なのである。


≪褌(ふんどし)締めてくだされよ。勇んでやりて下されよ。≫

 「反省」は心を明るくするものであり、心が暗くなるのは「後悔」であるということも心得ておくべきである。
悪想念制御に失敗してはまた挑戦し、また失敗しては挑戦して漆塗りのように成長していくのである。

同じ失敗でも質が向上して行けばよい。
山の頂上へのショートカットはどこにもないが、登って下りて、また登って下りても、意志のベクトルは常に「許しの自分で在れ」、「奉仕の自分で在れ」と、山の頂上に向かっていればよいのである。
誰も「完全」など要求していない。
「神」は我欲を打ち捨てようと努力する者には、厳しくも底なしに深い大愛を授け続けているのである。
皆不完全である、故に許し合わねばならない。≪悪憎むが悪ぢゃ≫

 この非難、攻撃する想念は両の手に確り握り締めた我と欲から惹起されるのであるが、この我と欲も程度による。その程度によって裁かれることになるであろう。
誰が裁くのでもない、良心の呵責で自らを裁くことになるのだから
≪せめてあなたはこの方を許してやってはいかがでしょうか≫と言っているのである。

 いかなる不良惑星人も一なる創造主の分け御魂、神の子であるが故にその良心は決して消滅することはない。
あの悪辣極まりない邪神・邪霊にあってすら良心をその意識の中核に堅持しているのである。邪神・邪例も遥か遥か太古の昔には人間であったことを忘れてはいけない。
(潜象界も人間界もよく知っている老獪な邪神ほど「改心」すればその転換は物凄く速い。酸いも甘いも噛み分けた老獪さ故に、その永く眠った良心が創造主の波動に共鳴すれば、その大愛に打ち震えて瞬く間に改心するのである。)
 人間は鈍重な肉体を持っている時ですら、良心の呵責というものは頭から離れることはなく苦しいものである。肉体人間ですら良心の呵責に苛まれることがあるのに、鋭敏な感覚となった霊体にとって「自らを裁く空間」で味わう煩悶は筆舌に尽くしがたい。そうなってからでは時既に遅しである。肉体を持っているうちに、一刻も早く、よりはっきりと覚醒していかねばならない。

 日々の暮らしを、その想念波動以て、弟妹への奉仕と為しくれよ。

本日これまで。


シリーズ『シルバーバーチャル星人の生活』 
第12回悪あればこそ弥栄するへ



Page Top

main

この改行は必要→
main_box